病を抱えて生きるということ









ACカウンセラーmichikoでございます。
訪問くださりありがとうございます。




















久しぶりですのに訪問くださり、大変ありがとうございます

あろうことか三か月以上、更新が滞ってしまいました



実は少し前に身体の異常が見つかりまして、
入院・手術を含む療養をしておりました

療養といっても自営業なものですから
専念できるわけではなく、
日々仕事を片付けながら
合間に療養という状況


繁忙期だというのに作業に時間がかかり、
体力的にも精神的にも、
記事を更新する余力がなかったのです。



完治には未だ程遠く、
しばらく通院による治療を要するのですが、
お陰様で今は落ち着きを取り戻し、
相談業務にも復帰することができております。



どなたもそうだと思いますが、
私も望んで病を手に入れたわけではありません。
現実を冷静に承認するのには
相応の時間がかかりました。
混乱に始まり
何とか受け入れるまでの過程を経験したことや、
病を抱えて生きることとなったことで
人生の間口や奥行きのようなものが、
少しだけではありますが、
確実に増幅されたように感じます

フィジカル面は
まだまだ切なくなることが多いのですが、
メンタル面においては
新たな発見や
より深い考察を得られたことがいくつかございました。
せっかくですので
それらを何回かに分け、
こちらでお伝えしようと思います。



緑の鮮やかな季節に私は病院を訪れました。
気になっていた体の変化が
重篤な病気ではないことを確認するためです。
何でもないに決まっているけど念のためね

そんな軽い感覚でした。
エコーを担当下さった看護師さんは
感じがよく丁寧な方

「気にしすぎですよねえ(笑)」
「そう思いたいですよねえ(笑)」
和やかに検査が始まりました


ところが次第に彼女の表情が険しくなり、
やがて雑談がなくなりました

こちらから話しかけても、
「それは後程」と応じてくださる気配がない

エコーのモニターには、
私の目から見ても分かる何かが
くっきりと映り込んでいました

くどい程の時間をかけた検査を終え、
心配と不安・期待や楽観が入り混じる
まとめようのない気持ちで診察室に入りました。
(´・_・`)
担当の医師は、
涙目になる私の初歩的な質問にも
やさしく誠実にお答えくださる方で、
精密な検査が必要であることなどを説明くださいました。
そしてその場で追加の検査をしていただき、
一週間後の結果を待つこととなりました。


大変なことになってしまった(°_°)
結果が出るまでの一週間は、
生きた心地がしませんでした。
死の恐怖からではありません。
仮に病状が酷く進んでいて
もはや手の施しようがないとしたら、
その先のことは覚悟するしかない

そう私には思えました。
不謹慎ながら
その方が好都合とさえ思えました。
生きた心地がしないほど
私が抱いた恐れとは、
死に対する恐怖ではなく、
「必要とされなくなる恐怖」でした。



ACな私たちの多くがそうであるように、
私は「他者に役務を提供すること」を
生き方の信条としてきたところがあります。
多分それは純粋な奉仕の気持ちというよりは、
そうすることで自分の価値を保てる、
裏を返せば、
そうしなければ見捨てられてしまうという
強迫観念によるものだったと思います。
純粋な奉仕の気持ちではなかったために、
私は自らを追い込む生き方をしていたのでしょう。
この点が
生きづらさの要因の一つであると認識してから、
私は様々な取り組みを実践してまいりました。
その結果
健全な意識改革が成されたと、
そう自負しておりました。
ところが、それは甘かった

検査、
入院、
手術、
長期に亘る治療、、、、、。
((((;゚Д゚)))))))
調べれば調べるほど、
どれも大変な手間と時間と費用がかかることが分かりました。
そんなことにかまけている場合ではないのに、
私のせいで、
家族や周囲に多大な犠牲を払わせ
多大な負担をかけてしまう

後遺症や副作用から身体が健全に機能せず、
ときには別の疾患を招いてしまう危険もある

行動は制限され、
仕事や生活の質をキープすることは
とてもとても困難に思えました。
私は他者に役務を提供するどころか、
自分自身のことさえも
人の手を借りなければ
維持することが出来なくなってしまう


頭の中は、
「厄介者」となりやがて
「見捨てられる」という恐怖で一杯でした。



恐怖から逃がれるために、
楽観的な展開を
ジョークを交じえ可能な限り想像しました
ヽ(´∀`)ノ ヽ(´∀`)ノ ヽ(´∀`)ノ
そして当日。
医師に結果を告げられた際の、
「あなたが悪いわけではないんです」
という言葉に
たまらず涙がこぼれました

けれども恐怖は涙で癒されるレベルではなく、
面倒な病気を抱えてしまった自分に心底失望し、
「必要とされなくなる恐怖」に怯えました。




恐怖から解放されるための道を探しましたが、
それは不健全な方向へと突き進み、
私は久しぶりに
自らを消すことを
繰り返し繰り返し想像してしまうのでした。
(ノ_<)

さて、、、
長くなってしまいますので、恐れ入りますが次回に続きます。




つらくなりすぎる前に一度、おいでください。
最後までお読みくださり、ありがとうございました。
少しでも参考にしていただけたら幸せです

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ありがとうございました
