酔い
おはようございます。
ACカウンセラー松橋通子です。
訪問くださりありがとうございます
以前お伝えした自己憐憫(れんびん)
(過去の記事:「可哀想な自分」はこちらになります
↓↓↓
http://ameblo.jp/ac-counsellor/entry-12033988709.html)
これをもう少し掘り下げてお伝えしようと思います。
自己れんびんの状態でいると、自分を被害者または犠牲者として位置づけてしまうようです。
そして困ったことに、周りの人を巻き込んでしまいがち。
多くは
周囲を加害者または悪者に仕立て、相手への怒り が蓄積。
やがて
その怒りは恨み となり、相手を傷つけてしまうのです。
何年もの間、私がそうでした。
兄に服従し、母の機嫌を伺いながら生きてきた私は、
大人になってもその縛りから解放されることはなく、
むしろ、縛りはより強烈になりました。
そして本心では、多分、こう感じていたのだと思います 。
兄は私を暴言や暴力で支配する加害者
母は私を承認し愛してくれない悪者
正当な扱いを受けられない私は可哀想な被害者
私は母と兄の犠牲になって、自分を殺して働き続けているのに、二人とも私の気持ちを分かってはくれない。
自分が哀れでなりませんでした。
偏差値や体温計のようなものでいいから、
悲しみを客観視できる「ものさし」があればいいのにと思いました。
私の悲しみの深さを、母に解ってってもらうために。
頑張って平気な振りをしている私のことを「幸せそうね」という人に、きちんと真実を知ってもらうために。
あるいは道行く人全てに声をかけて、
私は今こんなに辛いんです、と訴えたかった。
可哀想ね、悪いのはお兄さんよ、
お母さんは冷たくてひどい人ね、
そう言ってもらうために。
でも、そんなことができるはずなどありません。
「可哀想に」と同情して欲しい反面、
そんな惨めな自分を決して人に知られたくはない
ややこしく相反する感情が同居していました。
何とかしたいけれど、自分からは動こうとしない。
苦しい気持ちを察して欲しい。
どなたか私を、この状況からポンと救い出してください。
当時の私は、
自ら脱するための建設的な方法を考えることをせず、
ただただ、可哀想な自分に酔うだけでした。
仲の良さそうな母娘連れを見つけては、
自分の不幸を嘆きました。
一人で茶会の準備をしていると、
兄と母の会話が聞こえ、嫉妬と疎外感でいっぱいになりました。
それでも、あれをやってこれをやって、、、
「お疲れさまね、助かるわ」そんな風に
母に優しくねぎらって欲しくて、認めて欲しくて、
とにかく動き回りました。
「自己れんびんの人は、フェアじゃない世界で苦しんでいる」と、信田さよ子さん(<カウンセラーは何を見ているか>他著書多数)は言います。そして、「支配や疎外されるという関係を作り出さず、対等に人とつながれるようになれれば、不幸に酔う必要はなくなる」更に、その「酔いは、究極のアディクション※かもしれない」と。
(ASK選書15<「自己れんびん」というもう一つの酔い>より)
対等に人とつながる
ACの方にとってこれはとっても難しい。
この課題に取り組むには、特に入念な準備が要りそうです。
準備において、私が最も大切だと思うこと
それは、、、
えーと、ごめんなさい。
少々長くなってしまいますので、
続きは次回、お伝え申し上げたいと思います
※アディクション・・嗜癖(しへき)。ある特定の行動や物質、人間関係などへの過度なのめり込みのことをいいます。その内容は多様です。