分かってくれた人
ACカウンセラーmichikoでございます。
訪問くださりありがとうございます。





「ACの私にとって味方だった父」 2015年8月 Ver.2
早いもので、
8月も残りわずかとなりました
小学二年生のちょうど今頃のこと、
私はとっても焦っていました
宿題はほぼ終わっていたのですが、
一つだけ
どうしても片付かないものがあったのです

それは
夏休みの思い出を画用紙に描いて作文を添える、
という宿題でした。
一年生のときも同じ宿題が出て、
私は当然のように近所の盆踊りのことを描きました。
小さな公園で毎年開催される盆踊りは
わたあめの屋台も出ていて、
私にとって「特別」なものだったからです
ですが
驚いたことにどの子も、
家族とレジャーに出かけたことを
お休み中の思い出として描いてきたのです。
「田舎に行きました」
「海に行きました」
「山に行きました」
「キャンプをしました」
「プールに行きました」
「遊園地に行きました」
「新幹線に乗りました」
・・・私はどれも経験がありません
クラスのみんなが
宿題を見せ合って話をしているときは、
一人置いていていかれているようで
惨めな気持ちになりました
同じ宿題が出ませんようにと
人知れず祈りましたが、
冬休みも春休みも、
それはいつも定番として存在しました
その度に精一杯、
私にとって「特別」な日常を描いてきましたが
他の子にとってそれは
「普段」の日常でしかないようで、
みんなから返ってくるのはいつも薄い反応
惨めな気持ちになる繰り返し



今年の夏休みこそ、
どこかへ連れて行ってくれるかもしれない
カレンダーを確認、
まだ7日残ってる
明日はきっと
今日はきっと
静かに私は待ち続けました。
ところが
8月28日になっても、
29日になっても、
お出かけの声はかかりません

宿題を終わらせることが出来ない、
先生に叱られる、
クラスのみんなから置いていかれる・・。

不安な気持ちに追い詰められてゆきました。

そしてとうとう、
30日の朝になりました
普段と変わらない朝でしたが、
私の中ではタイムリミット限界でした
思い切って、
母と父に言いました。
「・・宿題が、できないの」
みんながどういう絵を描いてきているか、
去年の夏休みも、
冬休みも、
春休みだって、
いつもいつも惨めで悲しかった思いを、
一生懸命伝えました
・゚・(つД`)・゚・
母には、
「今頃言われたってねえ」
「盆踊りでも描けばいいじゃない」
そんな風に言われました
(っω・`。)

気持ちを
汲んでくれたのは、
父でした。
「そうか。宿題ができないのはかわいそうだ。
それなら今からプールに行こう」

持ち物は、
スクール水着とバスタオルに塩むすび
小銭しか持たない父が、
電車を乗り継ぎ、
大きな大きなプールに連れて行ってくれました
流れるプールに波のプール、
ウォータースライダーもありました

父は一日、私に付き合ってくれました。
身体が冷えたら、
プールサイドに直に寝そべり甲羅干し。
のどが渇いたら、
水飲み場で水道水を飲みました。
お腹がすいたら、
お塩のおむすびをいただきました。
余計なものを省いた父らしいレジャーでした。
私は
レジャーシートも
カラフルなジュースやアイスも、
フランクフルトもいらなかった。
機能不全の家族の中で、
私の気持ちを分かってくれたことが嬉しかった。

よく晴れた一日
おひさまが傾く頃には、
全身すっかり日焼けしました。
翌31日
私は宿題を仕上げました

会心の出来でした
これでみんなと同じになれる
背中は赤くヒリヒリしていましたが、
心はとっても穏やかでした

そして新学期。
日焼けしたての私は、
クラスの誰よりも真っ黒でした。
即席の日焼けでしたが誇らしかった

一人ではない。
必ず分かってくれる人がいる
毎年この時期、
そんなことを思い出すのです。


つらくなりすぎる前に一度、おいでください。
最後までお読みくださり、ありがとうございました。
少しでも参考にしていただけたら幸せです
ランキングに参加しています。
よろしかったら、こちらをクリックくださると大変嬉しいです。

重ねて恐縮ですが、
こちらもクリックくださると嬉しいです。

ありがとうございました
訪問くださりありがとうございます。





「ACの私にとって味方だった父」 2015年8月 Ver.2
早いもので、
8月も残りわずかとなりました

小学二年生のちょうど今頃のこと、
私はとっても焦っていました

宿題はほぼ終わっていたのですが、
一つだけ
どうしても片付かないものがあったのです




それは
夏休みの思い出を画用紙に描いて作文を添える、
という宿題でした。
一年生のときも同じ宿題が出て、
私は当然のように近所の盆踊りのことを描きました。
小さな公園で毎年開催される盆踊りは
わたあめの屋台も出ていて、
私にとって「特別」なものだったからです



ですが
驚いたことにどの子も、
家族とレジャーに出かけたことを
お休み中の思い出として描いてきたのです。
「田舎に行きました」

「海に行きました」

「山に行きました」

「キャンプをしました」

「プールに行きました」

「遊園地に行きました」

「新幹線に乗りました」

・・・私はどれも経験がありません

クラスのみんなが
宿題を見せ合って話をしているときは、
一人置いていていかれているようで
惨めな気持ちになりました

同じ宿題が出ませんようにと
人知れず祈りましたが、
冬休みも春休みも、
それはいつも定番として存在しました

その度に精一杯、
私にとって「特別」な日常を描いてきましたが
他の子にとってそれは
「普段」の日常でしかないようで、
みんなから返ってくるのはいつも薄い反応

惨めな気持ちになる繰り返し




今年の夏休みこそ、
どこかへ連れて行ってくれるかもしれない

カレンダーを確認、
まだ7日残ってる

明日はきっと

今日はきっと

静かに私は待ち続けました。
ところが
8月28日になっても、
29日になっても、
お出かけの声はかかりません


宿題を終わらせることが出来ない、
先生に叱られる、
クラスのみんなから置いていかれる・・。



不安な気持ちに追い詰められてゆきました。



そしてとうとう、
30日の朝になりました

普段と変わらない朝でしたが、
私の中ではタイムリミット限界でした

思い切って、
母と父に言いました。
「・・宿題が、できないの」



みんながどういう絵を描いてきているか、
去年の夏休みも、
冬休みも、
春休みだって、
いつもいつも惨めで悲しかった思いを、
一生懸命伝えました

・゚・(つД`)・゚・
母には、
「今頃言われたってねえ」
「盆踊りでも描けばいいじゃない」
そんな風に言われました
(っω・`。)



気持ちを
汲んでくれたのは、
父でした。
「そうか。宿題ができないのはかわいそうだ。
それなら今からプールに行こう」



持ち物は、
スクール水着とバスタオルに塩むすび

小銭しか持たない父が、
電車を乗り継ぎ、
大きな大きなプールに連れて行ってくれました

流れるプールに波のプール、
ウォータースライダーもありました




父は一日、私に付き合ってくれました。
身体が冷えたら、
プールサイドに直に寝そべり甲羅干し。
のどが渇いたら、
水飲み場で水道水を飲みました。
お腹がすいたら、
お塩のおむすびをいただきました。
余計なものを省いた父らしいレジャーでした。
私は
レジャーシートも
カラフルなジュースやアイスも、
フランクフルトもいらなかった。
機能不全の家族の中で、
私の気持ちを分かってくれたことが嬉しかった。



よく晴れた一日

おひさまが傾く頃には、
全身すっかり日焼けしました。
翌31日
私は宿題を仕上げました


会心の出来でした

これでみんなと同じになれる

背中は赤くヒリヒリしていましたが、
心はとっても穏やかでした




そして新学期。
日焼けしたての私は、
クラスの誰よりも真っ黒でした。
即席の日焼けでしたが誇らしかった




一人ではない。
必ず分かってくれる人がいる

毎年この時期、
そんなことを思い出すのです。




つらくなりすぎる前に一度、おいでください。
最後までお読みくださり、ありがとうございました。
少しでも参考にしていただけたら幸せです

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ありがとうございました
