境界、境界
ACカウンセラーmichikoでございます。
訪問くださりありがとうございます。





「境界、境界・・・。」
このところ、
心の中でそうつぶやく機会が頻発しております。
例えば
娘が何か問題を抱えていそうだと感じたとき。
あれこれと良くない想像をしてしまって、
求められてもいないのに、心配で
口を出してしまいそうになるのです

あるいは
不機嫌な人と
同じ空間に居なければならないとき。
怒りや苛立ちが発する空気に
「お前のせいだ」というメッセージが含まれていると感じてしまい、
大変!何とかしなければ(。Д゚; 三 ;゚Д゚)
と落ち着かなくなってしまうのです・・・。


ACな方の多くがそうであるように、
私も自他の「境界」が脆いのです。
「境界」とは、
目に見えるものも
見えないものも全てを含め
私が私らしく心地よくいられるための
「さかい」を意味します。
境界を脆いままにしておくことは
かつての私に必要不可欠なスキルでした。
兄や母の意向に
「絶対服従」が当然だった原家族という環境において、
「境界を持たないこと」が、
生きてゆくために重要だったからです。
ですが今の私にとって、
それは不要となりました。
何故なら、
他者の意向よりも
自分の気持ちを大切にして良いのだと
知ったからです
そして「境界」を設定することが、
相手への拒絶ではなく、
自分自身を守ると同時に
相手を尊重することでもあるのだと
学んだからです
けれどもまだまだ道半ばでございます。
梅雨時のこの時季は
特に体調が調いにくいためか、
「境界」の脆さが露呈しやすいようで、
冒頭のつぶやきが頻発する毎日です


スーパーバイズを兼ねて
定期的に伺う先生には、
随分前から
私の境界の脆さをご指摘いただいておりますし
たまたま見ていただいた占い師さんからも、
要するに「境界設定」が私の課題である
と言い当てられてしまいました
自覚はしております
努力を怠っていないつもりでもあります

実際振り返ってみますと、
出来ることが増えてきたと思えます
例えば応えられない依頼やお誘いは、
きちんとお断りしますし、
「境界」に侵入されそうなときの
気持ちのざわつきを感じ取ることも、
以前よりずっと
できるようになったと思っています
(これは重要なポイント
だと思います)。
また私の場合、
ある程度距離を取れる相手であれば
境界設定にさほど困難を感じません
私の価値観を批判されても、
相手の価値観を理解できなくても、
「そうなんですねー
」と流せているようなのです。
けれどもこれが
家族など近しい存在の相手ですと、
かなり頑張らないと難しいと感じることが
生活や思い出など
共有するものが沢山ある間柄では、
「境界」も
「なあなあ」になってしまいがちなのかも知れません。
どんなに近しい人であっても、
私とは別の人格をもつ一人の人間。
価値観が同じであるはずなどありません。
何に重きを置くのかは人それぞれであり、
その人の価値観は尊重されるべきものです
相手を
私の望む方向に向かせようとすることや、
相手が望んでいないのに
必要以上に介入しようとすることは、
境界設定ができていない証
大切なことは、
考えることや相談することも含めて、
相手の選択の自由を認めること
また
感情は人の心の内側から湧き出る自然なものです。
感情をどう表現し
どう始末するのかは、
その人がその人の責任においてすべきこと
私の悲しみを相手に取り払ってもらおうとしたり、
相手の怒りを私がどうにかしようとすることも、
境界設定がまるでなっていない証です。
大切なことは、
感情は否定するものではなく、
適切に扱う責任が本人にあるのだということ
今日もまたつぶやきます。
「境界、境界」

まだまだ学ぶことが沢山ありそうです




つらくなりすぎる前に一度、おいでください。
最後までお読みくださり、ありがとうございました。
少しでも参考にしていただけたら幸せです
ランキングに参加しています。
よろしかったら、こちらをクリックくださると大変嬉しいです。

重ねて恐縮ですが、
こちらもクリックくださると嬉しいです。

ありがとうございました
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「境界、境界・・・。」

このところ、
心の中でそうつぶやく機会が頻発しております。
例えば
娘が何か問題を抱えていそうだと感じたとき。
あれこれと良くない想像をしてしまって、
求められてもいないのに、心配で
口を出してしまいそうになるのです

あるいは
不機嫌な人と
同じ空間に居なければならないとき。
怒りや苛立ちが発する空気に
「お前のせいだ」というメッセージが含まれていると感じてしまい、
大変!何とかしなければ(。Д゚; 三 ;゚Д゚)
と落ち着かなくなってしまうのです・・・。


ACな方の多くがそうであるように、
私も自他の「境界」が脆いのです。
「境界」とは、
目に見えるものも
見えないものも全てを含め
私が私らしく心地よくいられるための
「さかい」を意味します。
境界を脆いままにしておくことは
かつての私に必要不可欠なスキルでした。
兄や母の意向に
「絶対服従」が当然だった原家族という環境において、
「境界を持たないこと」が、
生きてゆくために重要だったからです。
ですが今の私にとって、
それは不要となりました。
何故なら、
他者の意向よりも
自分の気持ちを大切にして良いのだと
知ったからです

そして「境界」を設定することが、
相手への拒絶ではなく、
自分自身を守ると同時に
相手を尊重することでもあるのだと
学んだからです

けれどもまだまだ道半ばでございます。
梅雨時のこの時季は
特に体調が調いにくいためか、
「境界」の脆さが露呈しやすいようで、
冒頭のつぶやきが頻発する毎日です



スーパーバイズを兼ねて
定期的に伺う先生には、
随分前から
私の境界の脆さをご指摘いただいておりますし

たまたま見ていただいた占い師さんからも、
要するに「境界設定」が私の課題である
と言い当てられてしまいました

自覚はしております

努力を怠っていないつもりでもあります


実際振り返ってみますと、
出来ることが増えてきたと思えます

例えば応えられない依頼やお誘いは、
きちんとお断りしますし、
「境界」に侵入されそうなときの
気持ちのざわつきを感じ取ることも、
以前よりずっと
できるようになったと思っています
(これは重要なポイント

また私の場合、
ある程度距離を取れる相手であれば
境界設定にさほど困難を感じません

私の価値観を批判されても、
相手の価値観を理解できなくても、
「そうなんですねー

けれどもこれが
家族など近しい存在の相手ですと、
かなり頑張らないと難しいと感じることが

生活や思い出など
共有するものが沢山ある間柄では、
「境界」も
「なあなあ」になってしまいがちなのかも知れません。
どんなに近しい人であっても、
私とは別の人格をもつ一人の人間。
価値観が同じであるはずなどありません。
何に重きを置くのかは人それぞれであり、
その人の価値観は尊重されるべきものです

相手を
私の望む方向に向かせようとすることや、
相手が望んでいないのに
必要以上に介入しようとすることは、
境界設定ができていない証

大切なことは、
考えることや相談することも含めて、
相手の選択の自由を認めること

また
感情は人の心の内側から湧き出る自然なものです。
感情をどう表現し
どう始末するのかは、
その人がその人の責任においてすべきこと

私の悲しみを相手に取り払ってもらおうとしたり、
相手の怒りを私がどうにかしようとすることも、
境界設定がまるでなっていない証です。
大切なことは、
感情は否定するものではなく、
適切に扱う責任が本人にあるのだということ

今日もまたつぶやきます。
「境界、境界」


まだまだ学ぶことが沢山ありそうです







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ありがとうございました
