中学受験で起きた悪夢 その2
おはようございます。
ACカウンセラーmichikoです
今年4月から、おっかなびっくり始めたブログでしたが、
続けてこれたのは、こうして訪問くださる皆様のおかげでございます。
感謝の気持ちで一杯です
また、コメントやメッセージをいただけたことはとっても嬉しく、記事のヒントとさせていただいたことも沢山ございました。
本当にありがとうございました

同じような辛さを抱えている方に、どうか届きますよう思いを込めて、
ゆっくりとしたペースではありますが、これからも発信させていただきたいと思います。
来年もどうぞよろしくお願いいたします。
さて、前回の続きでございます
二校の受験に失敗し、最後の望みをかけた一校。
発表の日、私は一人で学校に行きました。
中学受験では保護者が同伴することが当たり前でしたが、
母はその学校の受験の日も発表の日も、習い事があって来れませんでした。
どちらも子ども一人で来ているのは私だけでした
結果は「補欠」
不合格ではないことに、私は心からホッとしました。
ぱっとしない結果ですが、私にはそれで十分でした。
補欠でも入学できると知っていたからです。
「補欠」は、正規の合格者が辞退した場合に、欠員に応じて繰り上げて合格扱いとされるもので、
その学校は、当時滑り止めとして受験する子が大変多く、
ほとんどが繰り上げ合格となることで知られていました。
ただ、後から分かったことですが、
その学校では補欠の場合、
入学の意思がある旨を、発表のその場で申し出る必要がありました。
手続について全く知らなかった私は、
「補欠」に掲示された自分の受験番号にただただ安心し、
何もせずに学校を後にしたのでした
夜になって母が帰宅し、私は意気揚々と報告しました。
喜んでくれるとばかり思っていましたが、
母は怪訝そうにこう言いました。
「・・それで、書類は?」
・・・書類???
会場で書類を書いていたり、封筒を手にしたよそのお母さまがいたことは知っていましたが、
子どもの私には関係ないことだと思い込んでしまった私は
手ぶらで帰宅していました。
しっかり者で通っていた私の痛恨のミスです。
(°_°)
夜の七時をとうに過ぎた時間でしたが、母は学校に電話をしました。
母は電話口で担当の方に、手続きのタイムリミットがとうに過ぎていることを、淡々と説明されたようでした。
((((;゚Д゚)))))))
その場で必要な書類を提出しなかったために、
「補欠」だけれど、入学の意思がないものとみなされた私は、
入学を断念するしかありませんでした。。。
落ちて落ちて、最後の砦だった学校
合格に匹敵する結果を出せたのに、
手続ミスのために入学できなかったことは、
本当に残念でなりません。
地元の中学に行かなければならないことは、
「受験に失敗した」ということそのものですので、
自分の中の問題として、とても辛いことでした。
でも私は、どうってことない振りをしました。
それに、小学生といえども、全ては自分のせい
手続について確認しなかったことは私の落ち度です。
他の二校の失敗についても、
受験科目や服装や、道順だって、事前に調べることはできたはず。
私がいけなかったんだ。
そう思い続けてきました。
ですがきっと、納得できてはいなかった
その証拠に、何年もの間、
電車や街で、その学校の制服を見かける度に、
もやもやとした嫌な気持ちになりました
やがて私は母親となり、娘が受験を経験する年頃になったとき、
私は悪くなかったのかも知れない、と思うようになりました。
「受験」は家族でするもので、
勉強以外のことをサポートするのは、
親の大切な役目だということを実感したからです。
ナーバスな受験生、まして小学生。
受験や発表に、親が付き添わないなんて考えられません。
複雑な入学の手続きなど、子どもにできるはずがありません。
まだまだ幼い娘に、そんな負担をかけることなど、とんでもない話だと思いました。
どうして母は、私にそのようなことを強いたのだろう。
(´・_・`)
悲しいのと同時に、腹立たしい気持ちにもなりました。
(*`^´)
私は、母がこうしてくれていたらよかったのに、と思うことを、せっせと娘たちにしました。
(それが娘たちにとっても「してほしいこと」だったとは限りません。思い返せば、いわゆる「境界」を侵してしまっていたかもしれませんし、私の自己満足に過ぎないことも山のようにあったと思います。)
それから更に数年経って、ACという概念を知りました。
自分に向き合う作業を繰り返す中で、
ようやく出てきた
小学6年生の私
まだ幼い彼女が教えてくれたことは、
長年抱いていた中学受験に関するもやもやの核心部分でした。
私は、
手続の不備によって入学出来なかったことが心残りなのでも、
サポートが不完全だった母に対して怒っているのでもなかったのです。
私は、
「母に大切にされなかったこと」に傷ついていたのです。
(ノ_<)
私の受験を大切に考えてもらえていなかった、
落ちて心細かった私を大切に扱ってもらえなかった、
私の発表や手続きよりも、母にとっては習い事の方が大切だった、
そうした事実に、深く傷ついていた。
これは私の中で、
「自分は大切にされない存在」
ということを印象づける出来事として残ってしまったらしいのです。
更に、
「母親に大切にされない可哀想な子」
そう人に知られることを恐れてもいたと分かりました。
その結果、
「自分のせい」という鎧をまとってその傷を隠し、
どうってことない振りをしていたのだと思うのです。
癒すのには、少々時間がかかりました。
きっとまだ完全ではありません。
それでも、今は、
母には母の、事情があったのだろう、と思えるようになりました
私には苦い思い出となってしまいましたが、
受験は、未来へのストーリーを展開する大切なイベントの一つ。
それゆえ、大きな不安を伴いながら、一生懸命頑張っているのだと思うのです。
やる気スイッチが入っているときも、そうではないときも。
だからご家族は、受験生をしっかり支えて差し上げて欲しいなあ、と思います。
どうか実力を発揮できますように


そして新しい年が、
みなさまにとりまして素敵な一年となりますよう、
心からお祈り申し上げます。



最後までお読みくださり、ありがとうございました。
少しでも参考にしていただけたら幸せです
ランキングに参加しています。
よろしかったら、こちらをクリックくださると大変嬉しいです。

重ねて恐縮ですが、
こちらもクリックくださると嬉しいです。

ありがとうございました
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ACカウンセラーmichikoです

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続けてこれたのは、こうして訪問くださる皆様のおかげでございます。
感謝の気持ちで一杯です

また、コメントやメッセージをいただけたことはとっても嬉しく、記事のヒントとさせていただいたことも沢山ございました。
本当にありがとうございました


同じような辛さを抱えている方に、どうか届きますよう思いを込めて、
ゆっくりとしたペースではありますが、これからも発信させていただきたいと思います。
来年もどうぞよろしくお願いいたします。
さて、前回の続きでございます

二校の受験に失敗し、最後の望みをかけた一校。
発表の日、私は一人で学校に行きました。
中学受験では保護者が同伴することが当たり前でしたが、
母はその学校の受験の日も発表の日も、習い事があって来れませんでした。
どちらも子ども一人で来ているのは私だけでした

結果は「補欠」
不合格ではないことに、私は心からホッとしました。
ぱっとしない結果ですが、私にはそれで十分でした。
補欠でも入学できると知っていたからです。
「補欠」は、正規の合格者が辞退した場合に、欠員に応じて繰り上げて合格扱いとされるもので、
その学校は、当時滑り止めとして受験する子が大変多く、
ほとんどが繰り上げ合格となることで知られていました。
ただ、後から分かったことですが、
その学校では補欠の場合、
入学の意思がある旨を、発表のその場で申し出る必要がありました。
手続について全く知らなかった私は、
「補欠」に掲示された自分の受験番号にただただ安心し、
何もせずに学校を後にしたのでした

夜になって母が帰宅し、私は意気揚々と報告しました。
喜んでくれるとばかり思っていましたが、
母は怪訝そうにこう言いました。
「・・それで、書類は?」
・・・書類???
会場で書類を書いていたり、封筒を手にしたよそのお母さまがいたことは知っていましたが、
子どもの私には関係ないことだと思い込んでしまった私は
手ぶらで帰宅していました。
しっかり者で通っていた私の痛恨のミスです。
(°_°)
夜の七時をとうに過ぎた時間でしたが、母は学校に電話をしました。
母は電話口で担当の方に、手続きのタイムリミットがとうに過ぎていることを、淡々と説明されたようでした。
((((;゚Д゚)))))))
その場で必要な書類を提出しなかったために、
「補欠」だけれど、入学の意思がないものとみなされた私は、
入学を断念するしかありませんでした。。。
落ちて落ちて、最後の砦だった学校

合格に匹敵する結果を出せたのに、
手続ミスのために入学できなかったことは、
本当に残念でなりません。
地元の中学に行かなければならないことは、
「受験に失敗した」ということそのものですので、
自分の中の問題として、とても辛いことでした。
でも私は、どうってことない振りをしました。
それに、小学生といえども、全ては自分のせい

手続について確認しなかったことは私の落ち度です。
他の二校の失敗についても、
受験科目や服装や、道順だって、事前に調べることはできたはず。
私がいけなかったんだ。
そう思い続けてきました。
ですがきっと、納得できてはいなかった

その証拠に、何年もの間、
電車や街で、その学校の制服を見かける度に、
もやもやとした嫌な気持ちになりました

やがて私は母親となり、娘が受験を経験する年頃になったとき、
私は悪くなかったのかも知れない、と思うようになりました。
「受験」は家族でするもので、
勉強以外のことをサポートするのは、
親の大切な役目だということを実感したからです。
ナーバスな受験生、まして小学生。
受験や発表に、親が付き添わないなんて考えられません。
複雑な入学の手続きなど、子どもにできるはずがありません。
まだまだ幼い娘に、そんな負担をかけることなど、とんでもない話だと思いました。
どうして母は、私にそのようなことを強いたのだろう。
(´・_・`)
悲しいのと同時に、腹立たしい気持ちにもなりました。
(*`^´)
私は、母がこうしてくれていたらよかったのに、と思うことを、せっせと娘たちにしました。
(それが娘たちにとっても「してほしいこと」だったとは限りません。思い返せば、いわゆる「境界」を侵してしまっていたかもしれませんし、私の自己満足に過ぎないことも山のようにあったと思います。)
それから更に数年経って、ACという概念を知りました。
自分に向き合う作業を繰り返す中で、
ようやく出てきた
小学6年生の私

まだ幼い彼女が教えてくれたことは、
長年抱いていた中学受験に関するもやもやの核心部分でした。
私は、
手続の不備によって入学出来なかったことが心残りなのでも、
サポートが不完全だった母に対して怒っているのでもなかったのです。
私は、
「母に大切にされなかったこと」に傷ついていたのです。
(ノ_<)
私の受験を大切に考えてもらえていなかった、
落ちて心細かった私を大切に扱ってもらえなかった、
私の発表や手続きよりも、母にとっては習い事の方が大切だった、
そうした事実に、深く傷ついていた。
これは私の中で、
「自分は大切にされない存在」
ということを印象づける出来事として残ってしまったらしいのです。
更に、
「母親に大切にされない可哀想な子」
そう人に知られることを恐れてもいたと分かりました。
その結果、
「自分のせい」という鎧をまとってその傷を隠し、
どうってことない振りをしていたのだと思うのです。
癒すのには、少々時間がかかりました。
きっとまだ完全ではありません。
それでも、今は、
母には母の、事情があったのだろう、と思えるようになりました

私には苦い思い出となってしまいましたが、
受験は、未来へのストーリーを展開する大切なイベントの一つ。
それゆえ、大きな不安を伴いながら、一生懸命頑張っているのだと思うのです。
やる気スイッチが入っているときも、そうではないときも。
だからご家族は、受験生をしっかり支えて差し上げて欲しいなあ、と思います。
どうか実力を発揮できますように



そして新しい年が、
みなさまにとりまして素敵な一年となりますよう、
心からお祈り申し上げます。



最後までお読みくださり、ありがとうございました。
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