匂いと記憶 その2

おはようございます。
ACカウンセラーmichikoです。
訪問くださいまして、ありがとうございます ♪

前回の記事で、金木犀の香りと苦しかった記憶について書かせていただきました
記事の中で、匂いと結びついた感情は忘れにくい
ということもお伝えしました
今日はその続きです .。.:*☆


作為的に実家の鍵を変えられ、
それまでのように自由な出入りが出来なくなってしまった私は、
「茶道で母の役に立つこと」も取り上げられてしまいました(´・_・`)
一番恐れていた「見捨てられ不安」が現実となった事態に直面したのです。
そして自己憐憫(れんびん)という負のスパイラルに取り込まれて行きました。

こんなに懸命に尽くしてきた。
こんなに時間と労力を費やしてきた。
お茶会のことも、社中の方の調整も、苦情処理だって、
一生懸命考えて、それなりに対応してきた。
お母さんが外で活動できるように、できる限り家事だって担ってきた・・


なのに、どうして?
私はこうも簡単に切り捨てられてしまう存在だった?


私は自分が惨めで可哀想という思いでいっぱいでした。
一方で、「見捨てられた」という事実を否認する気持ちもありました。

母は一時的に、兄にけしかけられて私を遠ざけているだけ。
兄の前ではそうせざるを得ないだけ。
あるいは、母親にとって、
男の子というのは特別な存在だからなのかもしれない

私は男の子を持っていないから、それが分からないだけなのかもれない・・


当日早朝、力を振り絞って着物を着付け、会場に向かいました。
帯を締めると背中がしゃんと伸びるので助かりました
日本の民族衣装の力を借りて、私は何とか立っていられたのだと思います。

とはいえ、やはり生気がなかったのか、
懇意にしていた姉弟子の方が心配くださいました。
「とにかく何か食べなさい」
ご自身の朝食用にお持ちになったじゃこと梅干のまぜご飯のおにぎりを、
半分割ってくださいました。
「美味しいです〜」とほおばりましたが、味を感じません。
口のなかで機械的にその塊をくだいて喉に押し込むだけでした
でもそのお気遣いはとっても温かく、有難くて泣きそうでした。


何とかその日を終えましたが、
「頼りになるのはやっぱり息子さんねえ」
あちらこちらでそう言われて満足そうに笑い返す母を目にし、
私は、
自分が役たたずとなってしまった恐怖に怯えました(゚д゚|||)

この時の私は三十半ばをとうに過ぎた、世間的には立派な大人。
結婚し、娘も二人。
お恥ずかしいことですが、そうした歳になっていても尚、
私は母の愛情を渇望していたのです。

その頃には兄との距離を置いていましたので、
直接話をすることはほとんどなかったのですが、
私は多分、
兄に嫉妬していました。

もしかしたら、茶道に関わることにおいて、
兄もまた私に嫉妬していたのかも知れません。

母の私に対する感情を知っていた叔母からは、
「(母を)近所のおばさんだと思いなさい」そう言われました
思えるはずがありません。
私にとって、母はやはり、母なのです。

どうしても気持ちが通じない。
母からの情緒的な手応えを全く感じない。
被害者としての私を訴えても反応してもらえない。


(´・_・`)

何年も苦しかった。

金木犀の香る季節には、
どうしてもリアルに思い出してしまうのです。

鍵の開かない鈍い感触を、
嫉妬と恐怖と寂しさと、
そしてとらわれた自己憐憫(れんびん)を


そうした感情に支配されることは私から気力や体力を奪いました
そしてそんな状態の自分がますます嫌いになりました

いい歳をして、なんて女々しい。
これだから私はダメなんだ。生きている価値もない。
報われない私は惨めでなんて可哀想なんだろう。


(ノ_<)

仲のよさそうな母娘連れを目にすると、
体の芯に鉛の塊をぶち込まれたようにひどく身体が重くなりました。

毎年訪れる金木犀の香りは、
私にくどいほどの「自己否定」「自己憐憫(れんびん)」
そして繰り返される「嘆き」をもたらすのでした。

さんざん嘆いて数年が経ちました。

振り返ると、
金木犀の香る季節が毎年訪れてくれたから、
私は丁寧にそうした感情を味わうことができたのだと思うのです
そしてそれが、癒しにもなっていたのだと思うのです。

自分がACであると自覚してからは、
それらの感情の根底にあるのは、
幼い頃から抱いていた「強烈な不安感」なのだろうと思うようになりました。

今でも苦しい感情を思い出します。
そしてその度に、
「今年もまた、いらしたな」
丁寧に丁寧に受け止めます(´∀`*)

うまい表現が見つかりませんが、
当時の苦しい記憶は確実に、
まろやかになってきていると感じるのです



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匂いと記憶

おはようございます。
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空が高くなりました。乾いた空気に金木犀の香りが。

金木犀
その香りほど華やかさのない、小さくて地味な花の様子から、
「謙虚」「謙遜」という花ことばがあるそうです

好きな香りの一つではあるのですが、
ある苦い記憶と結びついてしまうので、この時期、少し辛くなることがあります。

嗅覚は、本能に直接作用する特別な感覚と言われます。
他の感覚と違って、脳の感情を司る大脳辺縁系というところに直接作用するため、
匂いと結びついた感情は忘れにくいのだそうです。


母の茶道教室を手伝っていた頃のこと、毎年開かれる地域の茶会が10月半ばでした。
要となる準備はこの時期大詰め、
当時の私は、金木犀の香る街を行ったり来たりしていました

「michikoちゃんがしっかりしているから、先生(母)安心ですね」
そんな風に言われる母を見るのが好きでした。

少なくとも茶道に関しては、兄より私の方が母の役に立っている
満足そうな母を見るとそう思えたからです。

もっと評判を上げようと頑張りました。
あれやこれやと、色々な場面を想像し、リストを作って準備しました。
古参の姉弟子の方たちと連絡を取り合いリストを見直し、
稽古日以外にも集まって道具の準備をすることもありました。

ある年のこと、準備のために実家を訪れると、
いつも出入りしていた勝手口のドアが開きません。
合鍵が使えなくなっていたのです。
中に誰かいる様子もありません。

一時的にドアの修理でもしているのかなあ(´・_・`)
そう考えましたが、
鍵が開かない鈍い感触には、
何とも言えない、惨めで嫌な感じが残りました。

ともあれ、他にやることはたくさんありましたから、
実家以外でできる準備に、その日は時間を費やすことにしました。

翌日。
父が在宅していましたので、実家に入ることができました。
鍵のことを、父は知りませんでした。
数実後、母に不便を伝えると、
合鍵を作ることは無用心だし、
michikoに鍵を渡したくない
という返事が。
兄の意向だというようなことも言っていました。

当時、母に留守番を頼まれることもしばしばありましたので、
このままではどう考えても不都合なはず。
数日で気が変わるだろうと思っていましたが、状況は変わりません。
私はもやもやとした疎外感を抱きながらも、どこか怖くて
強く言うこともできないまま日にちが過ぎました。

訪ねて行っても実家に入れないことが度々あり、
その年の準備は思うように捗りません
たまたま入れた時に準備しようとすると、練り上げたリストを全く無視した荷造りが。
何か変更になったのかもと思うようにし、
他に出来ることを探して準備しました(´・_・`)

いよいよ前日。
毎年私がそうしているように、運べるものは会場に運び込もうと実家に荷物を取りに行くと、
荷造りしたはずの荷物がありません。
会場に行ってみると、既に荷物が運び込まれており、
兄がそこで荷を解いて茶碗を並べていました。

茶道をやらない兄が、です。何となく意地悪く見えました。
側で母が、嬉しそうにこう言いました。
「お兄ちゃんが運んでくれたのよ。助かったわ。
だからmichiko、もういいわよ。」

((((;゚Д゚)))))))

長年、私の唯一の心の拠り所としていた、
「茶道で母の役に立つこと」
これが文字通りガラガラと崩れて行くのを感じました。

運んでくれるなら、昨日のうちに一言知らせてくれればいいのに!!
どこに何を並べたらいいのか、全然わかってないくせに!!

心の中で叫びました。
あのとき、鍵のことも含めて、自分が惨めでした。
そして、
我が物顔で茶碗を並べている兄が憎かった

私は座敷を清拭きする振りをして、兄と母からうんと離れました。
持参した雑巾を広げたとき、悔し涙がこぼれ落ちました。

ほどなくして二人は去って行きましたが、
私は一人残り、夕方まで黙々と清拭きをしていました。

冷静になってようやく気がついたのです。
私は、、、何をしても母から兄のようには愛されない。ずっと疎まれていた。
けれども私は、その後何年もそれを認められずにもがきました。
苦しい時代の始まりでした。
自分自身を、不幸で惨めで可哀想としか見れなくなって行くのです。

開け放った窓から入る秋風は、金木犀の香りがしました。



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理解できなくても、理解し続けようとすること

おはようございます。
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子どものころ、蓋を開けると音の鳴る、箱型のオルゴールを持っていました。
母がどなたかの箱根土産で頂いたものを、私が貰い受けたのです。
寄木細工の渋いものでしたが、嬉しかった。
内側に赤いビロードが貼られたその箱は、何か特別な宝物をしまっておくもの、という匂いがしてわくわくしました


一番初めに入れたのは、冬にみかんを剥くとたまあに出てくる
小指の爪ほどの大きさの小さな房(薄皮に包まれたその果肉を「じょうのう」というそうです)。
箱のビロードの上に直に置いて、一人眺めては楽しみました。

今、考えますと、何でそんなものを?と不思議なのですが、
当時の私にとっては「宝物入れ」にしまっておくほど価値のある、
大切なものだったのでしょう。
でも、みかんの小さな房が宝物だなんて、
ちょっと恥ずかしいとも思っていました。
ですので、誰にも見せたことはありません。

やがてそれは干からびて、箱の中には他のものを入れるようになりました。
遠足で拾ったどんぐりや、
公園で見つけた四つ葉のクローバー、
小さなビンに入った星の砂・・・。

入れるものは違っても、どれもがその時々で、私が大切にしていた宝物でした。

援助者として大切なことは、その人の「価値」を「理解し続けようとする」こと

精神保健福祉士の勉強をしていたとき、ある先生がおっしゃった言葉です。
とても心に響いたので、今でもよく思い返しています。

その方が、
何を大切に思っているのか、どこに「価値」をおいているのか
それを、せっかちに有る一点においてだけで理解したつもりになるのではなく、
「理解し続けようとする」こと。

自分を理解してもらえたら嬉しい。
でも、その時は理解してもらえなくても、継続的に理解しようとしてくれていると感じられたら、
誠実な味方を得られたようで、自分に自信が持てるようになるかもしれない

そこには、○○が出来たから、××が出来ないから、などという理由はありません。
あるのは理解しようとしてくれている、そんな安心感。


これはもしかして、
ACを受け入れるということも、
おんなじなんじゃないかなあ、と思うのです

ACの方が、
その時々に大切にしていたことを、
感じ取ってしまったことを、
守りたかったものを、
ご自身が「理解し続けようとする」
「価値」が流動的ならば、その変化した過程も理解しようとすればいい。
×なんて、ないと思うのです。

きっと馬鹿にされると思ってしまい、いつも一人で眺めていた「宝物入れ」
「こんなものを」と笑うのではなく、
どうして小さなみかんを大切にしているのか、理解しようとしてくれる人がもしいたら、
私はきっと、ちょっと恥ずかしいその気持ちごと
箱の中身を見せていたかもしれません。

寄木のオルゴールはいつの間にか無くなってしまいましたが、
私の中の「宝物入れ」には、
みかんの房を大切にしまったオルゴールを持った少女が未だに存在します。
ですので、今、
大人になった私は、
こうかな、ああかな、と、
彼女を「理解し続けようとする」人でいたいと思うのです。


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ノンバーバルコミュニケーションとAC

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コミュ二ケーションの大部分は言葉によるものだと思いがちですが、
実は約80%が、ノンバーバルなのだそうです。

ノンバーバルコミュニケーション

言葉(バーバル)ではなく、
身振りや抑揚、表情等によってメッセージを伝えたり、汲み取ったりすること。

ACの方は特に、長年の経験から、ノンバーバルに敏感なように思います。
私自身、無意識のうちにいつもアンテナを張って、相手の仕草や表情から、感情を読み取ろうとしてきました。

嫌われないように。
怒らせないように。
見捨てられないように




本来、自分が安心できる場所を確保するために、アンテナを張るものであるはずが、
どこに行っても安心できずに身の危険にばかり目が行って、いつもハラハラしっぱなし
さらにアンテナの感度が無駄に良すぎるために、休まる暇がありません。
時にそれは過剰反応して暴走し、余計なことに気苦労します

きっと怒ってる?
どうしようどうしよう

こうしたら機嫌が直るかな。
こうすれば見捨てられないでいられるかな。


そんなことばかりを気にしていたものですから、当然自分の感情など、どうでもよかった。


さて、長年かけて立派に磨きあげてきたこのスキル。
これをもしも、自分自身に使えたら・・・。

きっとできるはずです。
人にして差しあげられることは、ご自身にもできないはずはないのです。
もしかしたら、既に使ってらっしゃるのでは

それはたとえばこんな風に

その日の私は都内で仕事がございました。
予報では日中の最高気温が21度。夏の装いではちょっと肌寒そう
ですので一枚上着を羽織りました

こんな日のオフィスビルの空調は、微調整が難しい。
冷えてしまって、気付くと足をしっかり組んでいました。
ですので持参したストールを膝に掛けました。

食事休憩で外に出ると、寒さに思わず両腕を抱きました。
選んだメニューは温かいおうどん
身体が温まって美味しかった。

ほんの少し振り返っただけですが、
私の「寒」に対処した具体的な行動がこんなに沢山出てきました。

何と「自分にアンテナを張る」ことができていたのです。
「ノンバーバル」に適切に反応していたのです。
そしてこれは、どれもが立派な「セルフケア」
自分で自分を労り大切にしていると感じられます

お仕事や家庭の事情などにより、いわゆる「お休み」がきちんと取れなかったり、
「お休み」することや「遊ぶ」ことに対して、どうもACの方が抱いてしまう
「罪悪感」という縛り

こうしたことから、
大切だとわかってはいるけれど、セルフケアができていない・・・と自分を責めてしまいがち。

かつて私も、気持ちが落ちているときなど、
休暇をレジャーで楽しんだ方にお土産を頂いたり、〇〇をしてリフレッシュしてきた〜という話を聞いただけで
「ノンバーバル」を感知するアンテナが暴走してしまうことがございました。

相手の方の表情から、
レジャーできない自分に×の烙印を押されたように勝手に感じ、それで落ち込んでしまうのです

でもよく考えますと、出来ている
ほんの小さなことではあってっも、日々生活する中で、実は知らず知らずのうちに、自分のケアができているのです。

そう、ケアをするために必要なものは、
時間でもお金でも、あるいは「縛り」を解き放つことでもないんじゃないかなあ
多分それは、「寒い」という自分の不快を感じ
「あたたまりたい」という自らのニーズに気付くこと

そして、大切なことは、
そうした日常の小さなことに、
一つひとつ丁寧に対処してゆくことだと思うのです。

ご自身の発する「ノンバーバル」
感度抜群の「アンテナ」で、どんなものをキャッチできていたのか、
たまには振り返ってみるのもよろしいかと思うのです。



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逆支配!?

こんばんは。
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訪問くださいまして、ありがとうございます

もう何年も前のことですが、
依存症や共依存の方の自助グループに参加していたことがありました。

ある時参加者のお一人が、
「ずっと支配されていると思っていたが、実は自分が相手を支配していた」
とおっしゃいました。

ええっ!?

衝撃を受けました。
・・・私も母を「支配」していた可能性が?


高圧的にものを言いつける兄の命令に従うことと、
母の評価を得るために家事と茶道で動き回っていた私にとって、
「支配」とは「されるもの」という認識でしかありませんでした。

「指示」を出すこととは違う、
もっと強制的で圧倒的に束縛する力をもつ「支配」。

兄の言いつけは「絶対」でした
子ども時代、5歳上の兄に力で押さえつけられた恐怖は、大人になった私を自由に動けなくするのに充分なほど、強く刷り込まれたものでした。

それに増して、兄のように直接的に言いつけをしない分、母の「支配」は強烈でした
弱いことを良しとしない母に認められるために、私は突き動かされるように、強迫的に、気を利かせて立ち回らなければなりませんでした。
母からの愛情を得るためには、「自慢の娘」でいる必要があったからです。


「支配」ほどではないにしても、
ひょっとして、
私は母を「操作」しようとしていたのかも知れない、
そう思えるようになったのはずっとずっと後のことでした。


言いつけを守って、私こんなに頑張ってるの。
言われた通り、ハンバーグを作ったから、たくさん作っておいたから。
明日はお稽古だから、茶室はぞうきんがけしておくね。
お菓子はいつもの棚の上に。
お茶会のことなら大丈夫。
お母さんが疲れないように、私ちゃんと準備してるから。


懸命に立ち回っていたかつての私。

私のことなんていいの。お母さんが楽になれるなら。


家のことをやらなかったら、母が私のことなんて嫌いになってしまいそうで怖かった
それは結婚してからも同様でした。
稽古がある日は、実家の夕飯を全て準備しないと自宅に帰ってはいけないような気がしていました。
だからといって自宅での家事を手抜きなんかしてはいけない。
とにかくどこでも動いていなければ私の価値はない。
常に駆け足、分刻み。
もたもたしている暇はありません。

幼い二人の娘は、私に引きずられるように実家と自宅を行き来していました

良い娘ぶっていた私は、
自分の感情を操作する一方で、母の感情まで操作しようとしていたのかも知れません。

ここまで自分を犠牲にして尽くしている私は、
兄よりずっと役に立っているはず。
当然、認めて愛してくれるでしょう?


私は、母に尽くすことで、母が私を認め、愛するように「操作」していたのかも知れません。

けれども、人の感情など「操作」出来るはずはありません。

母の目には兄しか映っていなかった。
私は、ていのいいお手伝いに過ぎなかった


こちらが「操作」している通りにならないことは、
悲しく、切なく、苦しい。


相手は察してなんてくれないのです。

これはもしかして、親子関係に留まることではないのかも知れません。


その相手が、大切だと思う人で、操作している期間が年単位で続くものでしたら、
その苦しみは数十倍にも数百倍にもなるでしょう。


そんな苦しみの中に自分自身を置くことは限界でした。
このままでは私が壊れてしまうかも知れない。

どんなに嘆いても、母は母の感情でしかなく、私が操作してどうにかなるものではない。
それに、母が自主的に私を愛してくれないのなら、多分私は満足できない。

ならば「操作」する意味は全くありません
まして「支配」なんてしたくない。
これまで私は頑張ってきたけれど、
もう、手放そう

そんな風にある時ふっと思えたら、何だかとっても楽になれたのです



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プロフィール

michiko

Author:michiko
ACカウンセラー
精神保健福祉士(ハラスメント通報窓口相談員)
東京認知行動療法アカデミー認定カウンセラー

ホームページはこちら

 http://ac-counseling.net


 
・人にものを頼むことが苦手
・人の依頼や誘いを断ることが苦手
・主張するより周りに合わせる方を選ぶ
・自分が我慢する方がいい
・「こうしてくれればいいのに」といつも思うがうまく言えない
・自分の気持ちを汲んで欲しいのに、と強く思うことが多い
・そもそも自分がどうしたいのかよくわからない
・人を助けているうちに、自分が困った事態になっている
・困っていても自力で何とかしようとする
・仕事を一人で抱え込みやすい
・見捨てられるのが怖くて恋愛関係にまで踏み込めない
・恋人に対して必要以上に依存している、または支配していると思う
・誰も自分のことなど関心がないと思う
・周りの期待通りにしなければと思う
・もっと頑張らなければいけないと思う
・いつか裏切られるような気がする
・いつも不安で仕方ない
・相手の機嫌を自分が何とかしなければと思う
・相手の問題を本人以上にあれこれ考え世話をして疲れてしまう
・不機嫌な人がいると自分のせいではないかと思ってしまう
・怒りの感情を出さないので、よく「いい人」と言われる
・自分は楽しんではいけないと思う
・自分のためにお金や時間を使うことに罪悪感がある

 以上のことをこれまでの人生で繰り返してきた
 michiko

私はアダルトチルドレンです。生きづらさを抱えたまま大人になってしまいましたが、試行錯誤の末、今ではこれまでよりずっと楽に生きていると実感しています。
このブログが、少しでも楽に生きられるヒントとなれば嬉しいです。
カウンセリングでは、じっくりご一緒に考えてゆきたいと思っています。

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