兄との境界 その3

おはようございます。

ACカウンセラー松橋通子です。

訪問くださりありがとうございます


前回の続きでございます。


ぼんやりと 曖昧な
境界線がくっきりしてくるまでに、ホイール事件から数年かかってしまいました。


距離をとろう

兄から私は、少しずつ距離を取ることにしました。
心理的にも物理的にも。


とはいえ、
感情的な部分ではまだまだ引きずっていましたから、聞こえほどスマートではありません。
母との絡みも当然ありました。父のことも心配でした。

それでも、他の理由も重なって、

最終的には、県をまたいだ現在の地に引越しを決行しました。


新居での片付けが少し落ち着いた頃、
私の携帯に電話がかかってきました。

兄がどうやら部屋を借りようとしているらしく、その大家さんからでした。

大家さんと兄は知り合いですが、
信用に欠けるので妹の私が保証人としてサインすれば部屋を提供する、ということでした。

以前の私なら、

大変、何とかしなければ という気持ちでいっぱいになり、
わかりました書類を送ってください と言ってしまっていたでしょう。


でも当時の私は、なんと立派に、
兄との境界を設定することができていました。

大家さんにはこう言いました。

兄に部屋を提供するのはおやめになったほうが良いと思います。
私は保証人にはなりません


その方は、私が長年住んでいた地域の地主さん。
道で顔を合わせれば挨拶やちょっとした立ち話をする間柄です。

私の意外な返答に戸惑っているご様子でした。

お兄さん、困ってるよ


何度そう言われても私は引き下がりませんでした。
もう
兄との境界はあいまいなものではなかったのです。


ACの方の課題である「境界」

これは、他と自分との間に適正に設定することで、
お互いが心地よくいられる安全を確保するという、
とってもとっても大切なもの 

空間やお金、持ち物など目に見えるものだけではなく、
親子、兄弟、恋人などの人間関係、時間、責任や価値観・・。
色々なバリエーションがあります。

場合によっては柔軟に移動
もしますが、しかるべきラインで自分の領域をきちんと示すことがどうやらとっても大切なようです。

つまりは
「NO」と言うこと 
 
これがなかなか難しい

相手にどう思われるかな
断ったら悪いかな
ひどい人と思われそう
嫌われたくないから
断るくらいなら私が我慢したほうがいい

基準が自分 ではなくて
相手や他の誰かになってしまっていることに
気が付かなかったりします。

私も本当に苦手でした


母に認められること=兄に従うこと 

そんな基準に縛られていた私は、母や兄から、
「境界」に侵入され続けていたのかも知れません。

すこし違うかな。
こちらも気付かなかった。
というより、設定がもともとされていなくて、うやむやだったのかも知れません。

曖昧な境界は他の人から侵入されやすい
同時にこちらも
他の人の領域に、必要以上に侵入してしまいます

その結果、
相手の問題に手を出しすぎてしまいます(何とかしなければと本人以上に必死になってしまう共依存の状態とも大きく関係してきます。。。これはまた後でお伝えしますね)

これには、他者のために自分を犠牲にして尽くすことを美徳とする、文化的な背景の影響も少なからずあると思います。

そうした私でいることで、何とか
存在価値を保とうともしていました。


たとえ どんなにへとへとでも


私は先ず、
兄との境界をきちんと設定する必要がありました。

暴言や暴力や金銭問題で私の心身の安全を脅かすような人と関わり続けることなどないのですから。

機嫌を伺い、理不尽な言いつけに振り回されることは、もう終わらせよう、そう自分で決めたのですから

 

 

 

 

 

 

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兄との境界 その2

こんばんは。

ACカウンセラー松橋通子です。

訪問くださりありがとうございます


四半世紀ほど前のことです。

実家のガレージから車を出すとき、がりりという嫌な音がしました
隣に駐車してある兄の高級外車  に触ってしまったのです

いつも車を出すときは細心の注意を払っていました。

駐車するのは兄の車がないときに限り、そうでなければ私の中古のオンボロ車は路上に駐車することもありました。

兄に叱られる!

大げさではなく、戦慄が走りました。


車を降りて確認すると、
兄の車のホイールがほんの少し傷ついた程度で、幸いなことに車体は無傷でした

出勤前の朝のことです。
兄はまだ眠っています。

どうしよう。
大した傷ではない。
このまま行ってしまおうか。


結局私は兄の部屋に行き、その場で謝りました。

立腹した様子で傷を確認した兄は、私に、ホイールの取り替え修理代として30万円を請求しました

高額だと思いましたが、

高級車だから仕方ない、
悪いのは私だから、

わずかな貯金 を はたきました。


その後ホイールは取り替えれらませんでした。


数年後私は結婚し、長女を身ごもりました。

今のように制度が整っていなかったので、妊娠中の健診はお金がかかりました  出産の準備にもお金が必要です。

ナーバスにもなっていた私は、
ホイールは替えないの?と余計なことを言ってしまいました。

やめておけばよかった。
あの30万が他のことに使われてしまったのは、明らかだったのですから。

兄はわなわなとアゴを震わせ、
てめえが妊婦じゃなかったらその腹一発殴ってるところだ


怖さでお腹がきゅーっと張りました


振り返ってみると、このことが、

私はこの人にはもう付き合えない、
距離をおこう、

そんな感覚を抱くきっかけとなったように思います。


私の安全を脅かすような人と関わり続ける必要はありません

兄の理不尽な言いつけに長い間従ってきましたが、私を自分の小間使いのように扱う人の側にいることはないのです。


幼い頃は、そうした環境に何とか順応することでしか、
身の安全を確保できませんでした。

でも大人になった今、
自分で安全な場所を用意することができる

当時はそこまで深く考えていませんでしたが、
この人は危険である、かろうじてそんな信号は感じ取ることが出来たのでしょう。

これはACの方にとって大切な課題の一つである、境界を知ることにつながります。

私も大変苦手だった境界については、今後少しづつお伝えしてゆきたいと思います^^

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インナーチャイルドを具現化する

おはようございます。
ACカウンセラー松橋通子です。

訪問くださりありがとうございます



6月の第三日曜日。

父の日。


いつも小銭しか持っていない父でした。

時々、たばこを買いに行くついでに、
駄菓子屋さんに連れていってくれました。
「もめんや」という駄菓子屋さんで、数十円分のお菓子を買ってもらうことを私は楽しみにしていました。

大らかな父が、大好きでした。

私の娘たちも父を慕い、大変懐いておりました。


父は今、ある施設で生活しています。

会いに行っても、
主人の名前は出るのに私の名前は出てきません(笑)

それでも大変嬉しそうな顔をして迎えてくれます。

主人には、
父の側に居る時の私は、穏やかでとてもいい顔をしていると言われます。

脳の障害により意思の疎通はできなくなっていても、
私自身、魂のレベルで会話をしていると感じています。


そんな父が元気だった頃、私は父に大切なものを届けてもらった
昨夜になってそう気付きました。


ACの方は、インナーチャイルド の存在を意識することが大切です。

自分に焦点が当たらない生き方をしてきましたから、自分のために何かをする、ということに抵抗があったりします。

自分に焦点を当てよう
自分主体で考えよう

その言葉の意味は理解できても、実生活では中々その通りにはいきません

私は何をしたいの?
何を求めているの?

もやもやしてよくわかりません


考えているうちに、特有のアンテナが反応

あの方はきっとこうして欲しいんだろうな、
家族はこれを求めているんだろうな、

ならば私はこれを選択するのが良さそう、

それなら更にその上のここまでやるしかない。

結局、自分がどうしたかったのかは置き去りとなってしまいます。
果てはそれが、自分のやりたかったことのような気さえしてしまう


上手く行けば良いけれど、そうでなかったら、
「せっかくここまでやってあげたのに」
怒りに近い感情が生まれ、
それをまた
うやむやにしてしまうことにもなりかねません



そんな時は、
インナーチャイルド
思い出すと良いようです。

インナーチャイルドが喜びそうなことをしてあげよう、
そう考えるのがよさそうです

社会生活を送る上での常識の範囲で、
その場に見合った微調整は必要ですが、
自分にはできないけれど、
心の中にいる小さな子どもへ
とういことなら、してあげられるかもしれません。

更に、
インナーチャイルドを具現化すると、
もっとイメージしやすくなるようです。

例えば小さい頃の写真が良いと聞きました。
ですがあいにく、私は写真を持っておりません

そういう場合は、人形でも良いそうです

人形。。。

母と兄から距離を取ろうと引越しをした数年前、
父が届けてくれたのが人形でした。

着物を着た70〜80センチの日本人形です。

色々な事情で実家が処分される頃、
取り壊される直前の私の部屋から、
87歳になる父が、
遠路我が家まで持ってきてくれたのです。

「michikoの大事なものだろうから」(^-^)

小さな頃から家にあったその人形が、
正直私は嫌いでした。

いつも無表情で冷たく他人行儀で、
自分のものという気がしませんでした。

バービーやリカちゃんのように
手にとって着せ替えをして遊びたかったのに、
ガラスのケースに入った大きな人形ではそれができません。
恐る恐る母にねだると、ぴしゃりと言われました。

こんなにいいのがあるでしょう!

兄はミニカーやプラモデル等、沢山持っていましたから、
兄は特別なのだと思っていました(´・_・`)

父がその人形を持って来てくれたとき、
(父はケースから出した人形本体だけを
剥き出しで抱えて持ってきました(笑))

どうしてこんなものを、と思ってしまいました。

それでも
「ぶつけないように持ってくるのが大変だったんだぞ」
そう言って汗をかいている父の気持ちは嬉しかった
それで私は少し手入れをしてみました。

いつもケース越しに眺めるだけだった
どこか冷たい表情のこの人形

直に触れたのは初めてのことでした。
色あせた着物がみすぼらしかったので、
新しい着物を作って着せました

自立出来ない作りでしかたから、
わずかな支えで自立するよう補助をつけました

現在の住まいにも、
家族の一員として連れてきています。

当時私はメンタルも参っていましたから、
そんな発想はなかったのですが、、
昨夜気付いたのです。

この人形は、
インナーチャイルドとして具現化するのにちょうど良い
ということに

何となく他人行儀に感じていたのは、
きっと私が、
彼女の心を閉じさせてしまう日常を
繰り返していたからなのかも知れません。

これからは少しづつ、
彼女と対話する時間を取ろうかなあ

リビングに居る彼女の表情が、
少し柔らかくなったように感じます。

父に感謝します。
そしてヒントを下さった水澤先生に感謝します。

酔い その2


おはようございます。

ACカウンセラー松橋通子です。

訪問くださりありがとうございます


えーと、前回の続きでございます。

前回のブログでは、ACの方が陥りがちな自己憐憫(れんびん)=「不幸に酔う」ということについてお伝えしていました。

そこから抜け出すためのヒントとなるものとして、
「支配や疎外されるという関係を作り出さず、対等に人とつながれるようになれれば、不幸に酔う必要はなくなくなる」
(ASK選書15<「自己れんびん」というもう一つの酔い>)より、
信田さよ子さんのお話をご紹介しました。


対等に人とつながる


これは
ACの方にとって、大変難しい課題です。
いきなりかかろうとしても多分失敗に終わりそう

ですので、入念な準備が必要かと思います。
その準備の一つとして最も大切なこと。

それは、自己れんびんに陥ってしまうほど傷ついてきた
それを正しく理解すること

弱いからとか、未熟だから、とかいうことではないのです。

長い間、それはそれは沢山のことに傷ついて来られた。 


その傷は、


不幸に酔わなければ

自分を保っていられないほど、深くて重いものだった。


信田さんが「究極のアディクション
※1かもしれない」と分析されているように、
自分の身を守ろうと、何とか生き延びようとした結果が、「不幸」や、「可哀想な自分」「酔う」ことだったのだと思うのです。


ダルク女性ハウス
※2の上岡陽江さんは、著書「生きのびるための犯罪(みち)」(イースト・プレス発行)で、依存症に苦しむ方について、こんな風に書かれています。
「苦しさや悲しさを癒す方法は、ふつう(の人)はいくつか持っている~中略~(薬物やアルコールの)ほかの方法を選べなかったっていう人もいるってこと」



ACは病気ではありません。

でも、深い根っこの部分で、依存症という病と共通するところがあるように感じます。


自己れんびん
に陥るよりほかの方法を選べなかった。



だから、深く深く負ってしまったその傷を癒すことが、先ずは何より大切だと思うのです。


ただ、それを相手に伝えることは控えたほうが良いかもしれません。

なぜなら、自己れんびんの状態では、
相手が受け入れられるような形で自分の感情を伝えることが、多分、できないからです


ストレスと疲労で救急車のお世話になった私は、病院から戻って数日後、心の苦しさを分かって欲しくて抑えきれなくなり、母に電話をかけてしまいました

ですが、母から私の身体を気遣う言葉は聞けませんでした。


私の中にある強烈な被害者意識が、おそらくはトゲのある言葉となって母を攻撃し傷つけてしまったのだと思います。

母は、私に反撃してくることで自分を守ろうとしたのでしょう。
こうして傷つけ合いの罠 にはまりこんでゆく。

仮に母から、私を気遣う言葉を聞けたとしても、あの時の私では、素直にそれを受け入れて満足することはなかったでしょう。

どろどろの感情がごちゃまぜになり、それでも日々の生活をこなさなければならない。

家族の前で、職場で、ご近所で。
何事もなかった顔をして一日を過ごす。

影響で身も心も疲労困憊

私はますます「可哀想な自分」酔い続けていました。


惨めで不幸な自分から抜け出せなくて、苦しくなってしまったら、
自己れんびんに陥ってしまうほど傷ついてきた
そう知ることで少しだけ楽になれると思います。

そして、ご自分でうまく癒すことができそうもなかったら、その思いを受け止めてくれる安全な第三者に打ち明けること。

これで更に楽になれるのではないかなあ。


十分に共感してもらえたら、傷は必ず癒えてくるはず

そしてフェアな関係にもきっと踏み出して行けると思うのです


※1・・アディクション・・嗜癖(しへき)。ある特定の行動や物質、人間関係などへの過度なのめり込みのことをいいます。その内容は多様です。

※2・・ダルクとは薬物等の依存症を回復するための民間施設です。



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酔い


おはようございます。

ACカウンセラー松橋通子です。

訪問くださりありがとうございます


以前お伝えした自己憐憫(れんびん)

(過去の記事:「可哀想な自分」はこちらになります
          ↓↓↓

http://ameblo.jp/ac-counsellor/entry-12033988709.html


これをもう少し掘り下げてお伝えしようと思います。

自己れんびんの状態でいると、自分を被害者または犠牲者として位置づけてしまうようです。

そして困ったことに、周りの人を巻き込んでしまいがち。

多くは
周囲を加害者または悪者に仕立て、相手への怒り が蓄積
やがて
その怒りは恨み となり、相手を傷つけてしまうのです。


何年もの間、私がそうでした。

兄に服従し、母の機嫌を伺いながら生きてきた私は、
大人になってもその縛りから解放されることはなく、
むしろ、縛りはより強烈になりました。

そして本心では、多分、こう感じていたのだと思います 。

兄は私を暴言や暴力で支配する加害者

母は私を承認し愛してくれない悪者

正当な扱いを受けられない私は可哀想な被害者

私は母と兄の犠牲になって、自分を殺して働き続けているのに、二人とも私の気持ちを分かってはくれない。


自分が哀れでなりませんでした。

偏差値や体温計のようなものでいいから、
悲しみを客観視できる「ものさし」があればいいのにと思いました。

私の悲しみの深さを、母に解ってってもらうために。

頑張って平気な振りをしている私のことを「幸せそうね」という人に、きちんと真実を知ってもらうために。

あるいは道行く人全てに声をかけて、
私は今こんなに辛いんです、と訴えたかった

可哀想ね、悪いのはお兄さんよ、
お母さんは冷たくてひどい人ね、

そう言ってもらうために。


でも、そんなことができるはずなどありません。

「可哀想に」と同情して欲しい反面、
そんな惨めな自分を決して人に知られたくはない


ややこしく相反する感情が同居していました。

何とかしたいけれど、自分からは動こうとしない。

苦しい気持ちを察して欲しい。
どなたか私を、この状況からポンと救い出してください。

当時の私は、
自ら脱するための建設的な方法を考えることをせず、
ただただ、可哀想な自分に酔うだけでした。


仲の良さそうな母娘連れを見つけては、
自分の不幸を嘆きました

一人で茶会の準備をしていると、
兄と母の会話が聞こえ、嫉妬と疎外感でいっぱいになりました。

それでも、あれをやってこれをやって、、、
「お疲れさまね、助かるわ」そんな風に
母に優しくねぎらって欲しくて、認めて欲しくて
とにかく動き回りました。


「自己れんびんの人は、フェアじゃない世界で苦しんでいる」と、信田さよ子さん(<カウンセラーは何を見ているか>他著書多数)は言います。そして、「支配や疎外されるという関係を作り出さず、対等に人とつながれるようになれれば、不幸に酔う必要はなくなる」更に、その酔いは、究極のアディクション
かもしれない」と。
(ASK選書15<「自己れんびん」というもう一つの酔い>より)



対等に人とつながる

ACの方にとってこれはとっても難しい。

この課題に取り組むには、特に入念な準備が要りそうです。


準備において、私が最も大切だと思うこと 

それは、、、

えーと、ごめんなさい。

少々長くなってしまいますので、
続きは次回、お伝え申し上げたいと思います



※アディクション・・嗜癖(しへき)。ある特定の行動や物質、人間関係などへの過度なのめり込みのことをいいます。その内容は多様です。

ACの良い面は


おはようございます。

ACカウンセラー松橋通子です。

訪問くださりありがとうございます


私はAC(アダルトチャイルド)です

正体不明の生きづらさを感じながら過ごしてきた数十年。

その時間を取り戻すことはできませんが、そこから得られたものも無いわけではありません



子どものころからずっと、
母の関心を引くために進んで家事を手伝いました。

甘えることはできなくても一人でこなす段取りを覚えました


子どものころからずっと、
不穏な空気に敏感でした。

兄が何を命令してくるのか。母が何を望んでいるのか。

張り巡らせたアンテナは、私をくたくたにさせましたが、想像力を働かせ、空気の動きをキャッチする感度は良くなりました


子どものころからずっと、
遊ぶことに罪悪感がありました。

いつも早く帰らなくちゃ、という考えに縛られます。
子どもらしく遊ぶ時間を持てなかったけれど、
その分今では

ほんの小さな自由時間をありがたく感じられるようになりました

海外旅行に行かなくても、沢山お金を使わなくても、例えばヨガをする時間を慈しむことで大きな満足を得られます。


小さなことではありますが、悪くないな、と自分では思うのです

そして、それを悪くないな、と思える自分のことも、悪くないな、と思うのです 



子どものころの家庭環境などが、ご自身の安全を脅かす状況にあったACの方は、

少しでも安全な居場所を確保しようと、いくつかの手段を練り上げてきました。

その影響は恐ろしく強烈に今の生き方にも及び、考え方を縛り、自由を奪っています。

ですが、その全てが「悪いこと」ばかりではないのでは、と思うのです。

どんなことでも、どんな人でも、良い悪い面があって、それは固定されることではないんじゃないかなあ。


大切なことは、知らなかったこと、身につけられなかったことを、今これから知って身に付けてゆくこと


安全な場を確保することだけでいっぱいいっぱいでしたから、生きやすく過ごすためのスキルを身につけられなかったのは、

仕方のないこと

だと思うのです。


ここで言えば、

甘えること(人にモノをお願いすること)

必要以上にアンテナを張ることを、時々お休みすること 

遊ぶ時間を楽しむこと 


そういうことをひとつずつ知って、無理のない範囲で練習してゆけばいい。

ACであることを「変えよう」とするのではなくて

これまでの自分のままでいて、
知らなかったことをプラスしたり、
持っているものを活かしてアレンジすればいいのでは


変えようとしても中々変われないから、苦しかった。
変えなければと
もがくから、余計に自分を追い込んだ。

よく考えてみますと、何十年とその生き方に縛られてきたのですから、そうそう簡単に変われるはずはないと思うのです。


ならば、変わらなくてもいいんじゃないかな


そう思えてから、私はとっても楽になれたのです。


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ACの自己承認


こんばんは。

ACカウンセラー松橋通子です。

訪問くださりありがとうございます



michikoさん、~
なんてすごいですね!


とんでもないっ!そんなことないですっ(><;)


それにほら、
ここ、これがこうだから私、全然だめなんです

これは褒められた時の、かつての私の反応です。

謙遜しているのではなく、本気で否定してかかります。

私がすごいはずなどないんです 
私にそんな価値はありません・・・


多分、認めて欲しい気持ちは あるはずです。
でも、
心底自分にはそんな価値がないと思ってしまう。

ですので、褒められると居心地が悪くて落ち着かなくなってしまうのです。

何人かでお話しているときは特に、
注目されてしまうことが怖くて、何とか皆さんの関心を他に向けようと頭をフル稼働させ、よくこんな発言もしていました。


〇〇さんは私なんかよりずっとお上手なんですよ



たいていは○○さんの話題に流れてしまい、私は慣れ親しんだポジションに戻れてホッとするのです。

同時に襲うのは、
お馴染みの自己否定感


せっかくお褒めくださった言葉。

なぜありがたく受け入れられず全力で拒否してしまうのだろう。
褒めてくださったあの方は困惑したにちがいない。

でもやっぱり〇〇さんに比べたら私なんて


そんな思いがめぐり、劣等感も強まります。



2歳ころから児童期にかけての時期は、
身近な大人から認められる(承認)経験を十分に重ねることが大切といわれます。

その経験により、自分の中の安全地帯がしっかりと形成され、子どもは自信 をもてるようになるそうです。

劣等感自己否定感に苦しい思いをされている方は、
子どものころ、身近な大人に十分な承認をもらえなかったからかも知れません。

私の場合は、

褒められても喜ぶべきではない

調子に乗るな

というメッセージにも縛られていました。


あなたは出来て当然のことをしているだけ。


ですので、

ダメだしをされるほうが自分らしいとさえ思ってしまう

そんな癖がついておりました。


承認は、自分の望むようにしてもらう必要があります。


「ママ見て!」

小さな子どもが嬉々として言ったとき、
気持ちを汲んで

「わあ、すごいねえ!」 と喜んでくれるように



今、それが出来る最適任者はどなたでしょう。


それは他でもない、自分自身


自分の気持ちを静かに聴いて、タイミングよく認めてさしあげる。



無理に何かをするのではなく、ベースは今のままでいいと思うのです。

だってあなたの存在そのものに大きな価値 がおありなのですから


承認を求める気持ちの裏には、自分自身を認めたい

自己承認

の欲求があるといいます。

自分で承認ができたら、一石二鳥ですよね。


これまでずっと、認めて欲しいときにそれが叶わなかった。

褒めて欲しかったのに気付いてもらえなかった。

そうして、沢山傷ついてこられた。


でも今、大人になったあなたご自身は、
ご自身の望むかたちで承認できる力をきっと持ってらっしゃると思うのです。



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可哀想な自分


こんにちは。

ACカウンセラー松橋通子です

訪問くださりありがとうございます


何年も前の休日のことです。
近所で買い物中ぱったりと倒れ、救急車 のお世話になったことがあります。

よく眠れない日が続き、とにかく疲れ果てていました。

どんなに欲してもどんなに尽くしても、
母の愛情と承認が得られない

兄と母の関係に入り込む隙がない疎外感

実家の散財を止められない無力感

更に私を苦しめていたのは、

兄に対する激しい嫉妬と憎悪 でした。


私から母を、子どもたちからおばあちゃんを奪っていった。


心の中はどろどろしたもので一杯で、それが体力を消耗させていました。

どうしてこんなにひどい目にあうのか、自分が哀れでなりませんでした

でもそれは人に悟られる訳にはいきません

私は見えないように心のふたを閉じ、日常をこなしていました。

そのふたがきっと外れてしまったのでしょう。
買い物中に倒れ込んでしまったようでした。

気がつくとサイレンの中で揺られていました。

救急隊員の方が連絡してくださったのか、娘と主人が同乗していました。

倒れ込んだ時に意識がなく受身が取れなかったために、あちこちぶつけ、体中に痛みが残りましたが、おかげさまで大事には至らずに済みました。

疲労とストレスによるものだったようです。


私がこんなに苦しい思いをしているのに、お母さんは何とも思わないのだろうか。

距離を取ろうと引っ越したのに、私から母に電話をかけました。


母の気持ちをこちらにむけようと、私は電話口で訴えました。

救急隊の方は優しかった

看護師さんは親切だった

よっぽどストレスが溜まってたんだねと言われた


母は言いました。


「みんなに優しくされてよかったじゃないの」


母のその言葉は私をしくさせただけでした

私の体を心配する気持ちより、
私の訴えの裏に潜んだ自分への非難を察知して、
母はとてもいらだっているようでした。

実際私は、母に非を認めさせようとしていたのですから
気分が良いはずはありません。


あの時私は、

「ごめんね、お母さんのせいだね」
とでも言わせたかったのでしょうか。


そう言わせたところで、私はすっきりしたのでしょうか。

その一言で、私は楽に生きられるようになれたのでしょうか。

今でも時々考えます。


苦しみもがいていたあの時は気がつきませんでした。

多分、私は「可哀想な自分」に酔っていたのだと思います。

どうして私だけこんなに苦しまなければならないの!?


自己れんびんの状態
です。


その状態にあることで、自分と向き合うことから逃げていました

私はあの頃

私が望むもの を母から得ることはできないのだ、
ということをしっかり認める必要があった
のです

カウンセラーにも自助グループにも、心療内科にもかかっていなかったため、どうしたら良いのか考えるという発想もありませんでした。

ですから、ずいぶんと長い間、その状態にとどまっていました。

それが私の生きづらさを長引かせていたように思います


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プロフィール

michiko

Author:michiko
ACカウンセラー
精神保健福祉士(ハラスメント通報窓口相談員)
東京認知行動療法アカデミー認定カウンセラー

ホームページはこちら

 http://ac-counseling.net


 
・人にものを頼むことが苦手
・人の依頼や誘いを断ることが苦手
・主張するより周りに合わせる方を選ぶ
・自分が我慢する方がいい
・「こうしてくれればいいのに」といつも思うがうまく言えない
・自分の気持ちを汲んで欲しいのに、と強く思うことが多い
・そもそも自分がどうしたいのかよくわからない
・人を助けているうちに、自分が困った事態になっている
・困っていても自力で何とかしようとする
・仕事を一人で抱え込みやすい
・見捨てられるのが怖くて恋愛関係にまで踏み込めない
・恋人に対して必要以上に依存している、または支配していると思う
・誰も自分のことなど関心がないと思う
・周りの期待通りにしなければと思う
・もっと頑張らなければいけないと思う
・いつか裏切られるような気がする
・いつも不安で仕方ない
・相手の機嫌を自分が何とかしなければと思う
・相手の問題を本人以上にあれこれ考え世話をして疲れてしまう
・不機嫌な人がいると自分のせいではないかと思ってしまう
・怒りの感情を出さないので、よく「いい人」と言われる
・自分は楽しんではいけないと思う
・自分のためにお金や時間を使うことに罪悪感がある

 以上のことをこれまでの人生で繰り返してきた
 michiko

私はアダルトチルドレンです。生きづらさを抱えたまま大人になったけれど、今までよりずっと楽に生きています。楽に生きる方法を、カウンセリングを通じてお伝えしています。

 http://ac-counseling.net



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