ACスマイル

おはようございます。ACカウンセラーmichikoです。
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「michikoさん、ものすごく肩凝ってるでしょう?」

昨年から通っている、
自由診療の歯医者さんに言われました。

診察台で大きく口を開ける度、
いちいちガクッ、ガクッと鳴る私の顎
いつから鳴るようになったのか定かではありませんが、
かれこれ20年は付き合ってまいりました

「この歯おかしいね、治療したの何年前?」
「えーと、確かこれは妊娠中でしたから・・・」
「じゃあ二、三年前だね(笑)」

(^∇^)ノ

ジョークのお上手な方ですが、
専門的なお話にはいつも大変説得力があります。

先生のお話では、
昔の治療済の歯が、
とんでもなく非常識な高さと形状で作られていて、
そのために私の噛み合わせ全体が
出鱈目になってしまっているのだそうです。
それが顎の異常の原因に考えられると。

思えば私は歯の治療をしたあとで、
歯医者さんに苦言を呈したことや
微調整を申し出たことが、
多分一度もありません。

例えば歯に被せものをしたとして、
浮いた感じや高い感じ、
窮屈な違和感があったとしても、
まだ慣れていないからだと納得させて、
その歯に噛む角度を
合わせてしまっていたように思います。

そんなことを先生にお伝えすると、
「やっぱりねえ・・」

一部の不自然な噛み合わせは、
他の歯や顎だけの問題ではなく
肩や首、姿勢にも及び、
内臓やメンタルにも支障を来たすのだとか。

(゚△゚;ノ)ノ

「長年こんなかみ合わせでいた人は、
口角も下がってうつ向いて、
姿勢もどんどん悪くなって、
何しても楽しくない気持ちでいっぱいになっちゃう。
そういう人を沢山診てきた。
何十年もこの状態だったのに、
こんなに笑顔でいられるなんて、
とても珍しいことだよ」


(゚△゚;ノ)ノ

・・・どうやらこんなところにも
ACが潜んでいたようです

内面に深い悲しみを抱えていても、
周囲に喜ばれるために
その悲しみを麻痺させて、
ACはいつも、笑ってみせる

(^∇^)(´・_・`)(^∇^)

随分前に、そう聞きました。

そしてこれを
「ACスマイル」というのだそうです。

おそらくは
ACという概念をご存知ないはずの歯医者さんに、
あなたはACですねと言われているような気持ちになりました。

「まず肩こり、相当辛いはずだよ」

(-_-;)(-_-;)・・・。

大して自覚がないのです。
確かに美容院では
「肩凝ってますねえー!」と必ず言われますが、
それは社交辞令のようなもの。
重い頭と腕を支える首や肩は、
どなたも凝っていて当たり前、
私が特別ではないはずです

ちょっと少数派なのかなという点は、
普通の人のような背骨の前後に向かうS字カーブが
私は殆どないらしいという点くらいなものです。
(そういう人は、肩や腰に多少負担がかかるらしいのです)

ですが歯医者さんに指摘されたことで、
私はあらためて気付きました

何十年もの長い間、
私は私の中の小さな私に、
沢山の我慢を強いてきてしまっていた

きっとはじめは主張していたはずなのに、
きちんと聴いて丁寧に対応してあげてこなかった

いくら主張しても聴いてもらえないことは、
悔しくて腹立たしくて、惨めで

・・・とても悲しい。

そうしたことが何年にも亘って
何回も何回も繰り返されてしまった結果、
悲しいことを感じないようにすることで、
私の中の小さな私は、
何とか生き延びて来たのかも知れません。

ごめんね、もう、そんなことは絶対にしないから

歯医者さんには、
噛み合わせを調整してもらうことにしました。
ちょっと贅沢して、
マッサージにも、行ってみようかなあ

少しづつ、私が楽になるように




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小学1年生になった春のある日、
はっきりした性格のHちゃんに、大きな声でこう言われました。

「おうちがお金持ちだからって、
キレイな服で威張らないでよね!

((((;゚Д゚)))))))

教室の前の廊下でした。

目立つことが嫌いで引っ込み思案、
おまけに泣き虫の私でしたから、
Hちゃんの発言にびっくり仰天。

でも、思い当たることがありました。

その日私は、
入学式にと祖母が買ってくれたワンピースを着ていたのです。

その日、というより、
その日も、といったほうが正確です。

入学式から既に何日も経っており、
みんなは普段着で登校していましたが、
私は毎日紺の上質のワンピース

セーラー服のようなデザインで、
胸には大きな赤いリボンまでついています。

・・・目立ちます。
「威張っている」と映っても不思議ではありません。

素肌に直に着たそのワンピースは、
裏地が冷たくて嫌でした。
体育着に着替えるのにも、
後ろについたファスナーは不都合でした。

好んで着ていたわけではないのです

当時私は、学校に着て行けるような服を持っていなかったものですから、
どうしてもそのワンピースを着なければならなかったのです。

母はそういうことに無頓着でした。
制服のような感覚で
着せていたのかもしれません。
あるいは忙しすぎて
娘の衣類に気を配る余裕がなかったのかもしれません・・・

(´・_・`)

特別お金持ちではありませんし、
そんな事情も抱えていましたが、
私はHちゃんに何も言い返すことが出来ず
(彼女が怖かったのもありました)、
なんとなく笑ってその場をやり過ごしました。

一緒にいた友達が、
「Hちゃん、意地悪だね」と怒ってくれましたが、
私はどう反応したらよいのか分からず、
黙って下を向いていました。

(´・_・`)

翌朝、
憂鬱な気分でワンピースに着替えた私は、
そっと赤いリボンを外して登校しました
少しでも普段着っぽく見えるように。

廊下の傘立ての冷たい金属の感触や、
ワンピースの裏地がヒヤッとしていたこと、
Hちゃんを不機嫌にさせていたショックを誤魔化すために
必死で作り笑いをしたこと・・・・・

結構憶えているものです。

こうした記憶のいくつかは、
長い年月を経たことで、
どうしても想像や願望などが入ってしまい、
事実とは違っていることがよくあります。
そのため、
過去を振り返ることは意味がない、と否定的な方もいらっしゃいます。

ですが私は、
この作業を大切にしています

過去を振り返ることは、
単に「あんなにひどい目にあった!」と嘆くためではありません

その目的は、
当時抑え込んでしまった感情を確認すること

これが、当時の自分を受け入れるために必要な、
大切なプロセスだと思うのです。

たとえ出来事が事実と違っていたとしても、
当時そこに存在していた感情は、きっと大きく違わないはず。
そして当時の私は、
その感情を認めてもらいたがっているのかもしれない。


あの時私は、
「Hちゃんにこんなことを言われたのは、
お母さんのせいだ」

多分そう思っていました。

母にはそんなことは言っていません。
「意地悪だね」と言ってくれた友達にも言っていません。

私の思いにわかりやすく名前を付けるなら
「怒り」でしょう。

誰にも言えなかった当時の「怒り」は、
私の中に留まったまま、誰にも表現できずに埋もれていた
母に気遣ってもらえなかった「悲しみ」を秘めて

幼い私に思いを馳せて、
こうした作業を重ねたことで、
自分に対する安心感のようなものを育ててきた
私はそんなふうに思うのです




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中学受験で起きた悪夢 その2

おはようございます。
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今年4月から、おっかなびっくり始めたブログでしたが、
続けてこれたのは、こうして訪問くださる皆様のおかげでございます。
感謝の気持ちで一杯です
また、コメントやメッセージをいただけたことはとっても嬉しく、記事のヒントとさせていただいたことも沢山ございました。
本当にありがとうございました
同じような辛さを抱えている方に、どうか届きますよう思いを込めて、
ゆっくりとしたペースではありますが、これからも発信させていただきたいと思います。
来年もどうぞよろしくお願いいたします。



さて、前回の続きでございます

二校の受験に失敗し、最後の望みをかけた一校。
発表の日、私は一人で学校に行きました。

中学受験では保護者が同伴することが当たり前でしたが、
母はその学校の受験の日も発表の日も、習い事があって来れませんでした。
どちらも子ども一人で来ているのは私だけでした

結果は「補欠」
不合格ではないことに、私は心からホッとしました。
ぱっとしない結果ですが、私にはそれで十分でした。
補欠でも入学できると知っていたからです。


「補欠」は、正規の合格者が辞退した場合に、欠員に応じて繰り上げて合格扱いとされるもので、
その学校は、当時滑り止めとして受験する子が大変多く、
ほとんどが繰り上げ合格となることで知られていました。

ただ、後から分かったことですが、
その学校では補欠の場合、
入学の意思がある旨を、発表のその場で申し出る必要がありました。

手続について全く知らなかった私は、
「補欠」に掲示された自分の受験番号にただただ安心し、
何もせずに学校を後にしたのでした

夜になって母が帰宅し、私は意気揚々と報告しました。
喜んでくれるとばかり思っていましたが、
母は怪訝そうにこう言いました。

「・・それで、書類は?」

・・・書類???

会場で書類を書いていたり、封筒を手にしたよそのお母さまがいたことは知っていましたが、
子どもの私には関係ないことだと思い込んでしまった私は
手ぶらで帰宅していました。
しっかり者で通っていた私の痛恨のミスです。

(°_°)

夜の七時をとうに過ぎた時間でしたが、母は学校に電話をしました。
母は電話口で担当の方に、手続きのタイムリミットがとうに過ぎていることを、淡々と説明されたようでした。

((((;゚Д゚)))))))

その場で必要な書類を提出しなかったために、
「補欠」だけれど、入学の意思がないものとみなされた私は、
入学を断念するしかありませんでした。。。

落ちて落ちて、最後の砦だった学校

合格に匹敵する結果を出せたのに、
手続ミスのために入学できなかったことは、
本当に残念でなりません。

地元の中学に行かなければならないことは、
「受験に失敗した」ということそのものですので、
自分の中の問題として、とても辛いことでした。

でも私は、どうってことない振りをしました。

それに、小学生といえども、全ては自分のせい
手続について確認しなかったことは私の落ち度です。
他の二校の失敗についても、
受験科目や服装や、道順だって、事前に調べることはできたはず。

私がいけなかったんだ。
そう思い続けてきました。

ですがきっと、納得できてはいなかった

その証拠に、何年もの間、
電車や街で、その学校の制服を見かける度に、
もやもやとした嫌な気持ちになりました

やがて私は母親となり、娘が受験を経験する年頃になったとき、
私は悪くなかったのかも知れない、と思うようになりました。

「受験」は家族でするもので、
勉強以外のことをサポートするのは、
親の大切な役目だということを実感したからです。

ナーバスな受験生、まして小学生。
受験や発表に、親が付き添わないなんて考えられません。
複雑な入学の手続きなど、子どもにできるはずがありません。
まだまだ幼い娘に、そんな負担をかけることなど、とんでもない話だと思いました。

どうして母は、私にそのようなことを強いたのだろう。

(´・_・`)

悲しいのと同時に、腹立たしい気持ちにもなりました。

(*`^´)

私は、母がこうしてくれていたらよかったのに、と思うことを、せっせと娘たちにしました。
(それが娘たちにとっても「してほしいこと」だったとは限りません。思い返せば、いわゆる「境界」を侵してしまっていたかもしれませんし、私の自己満足に過ぎないことも山のようにあったと思います。)

それから更に数年経って、ACという概念を知りました。

自分に向き合う作業を繰り返す中で、
ようやく出てきた
小学6年生の私

まだ幼い彼女が教えてくれたことは、
長年抱いていた中学受験に関するもやもやの核心部分でした。

私は、
手続の不備によって入学出来なかったことが心残りなのでも、
サポートが不完全だった母に対して怒っているのでもなかったのです。

私は、
「母に大切にされなかったこと」に傷ついていたのです。

(ノ_<)

私の受験を大切に考えてもらえていなかった、
落ちて心細かった私を大切に扱ってもらえなかった、
私の発表や手続きよりも、母にとっては習い事の方が大切だった、

そうした事実に、深く傷ついていた。

これは私の中で、
「自分は大切にされない存在」
ということを印象づける出来事として残ってしまったらしいのです。

更に、
「母親に大切にされない可哀想な子」
そう人に知られることを恐れてもいたと分かりました。

その結果、
「自分のせい」という鎧をまとってその傷を隠し、
どうってことない振りをしていたのだと思うのです。

癒すのには、少々時間がかかりました。
きっとまだ完全ではありません。
それでも、今は、
母には母の、事情があったのだろう、と思えるようになりました

私には苦い思い出となってしまいましたが、
受験は、未来へのストーリーを展開する大切なイベントの一つ。
それゆえ、大きな不安を伴いながら、一生懸命頑張っているのだと思うのです。
やる気スイッチが入っているときも、そうではないときも。
だからご家族は、受験生をしっかり支えて差し上げて欲しいなあ、と思います。
どうか実力を発揮できますように

そして新しい年が、
みなさまにとりまして素敵な一年となりますよう、
心からお祈り申し上げます。




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中学受験で起きた悪夢 その1

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今年も残りわずかとなりました。

クリスマスや年末年始の行事は華やかですが、受験生にとってはここからが大変
最後の追い込みとともに、体調管理にも気を配らなければなりません
親御さんは、事務的なことにも手落ちがないよう、大変な神経を使われることと思います
ご家族が一丸となって、頑張る受験生を支えたいですね

受験と言えば、苦い思い出がございます。
私は小学6年生のとき、
私立中学の受験をしました。

理由は母に言われたから。

近くに中学受験のための塾など無かった時代、
週三日を約一年間、
電車で文京区の塾まで通いました。

当時は算数と国語の二科目でした。
小学校では成績が良かった私。
(註:あくまでも「小学校」の話です
塾の勉強にもついて行けるだろうと思っていましたが、
甘かった

授業で使う分厚いテキストには、
見たこともない図形や知らない慣用句が並んでいました。

通ってくる子は服装も持ち物もキレイで、
優秀そうに見えました。
みすぼらしい身なりの私は、
入塾テストで「補欠」1番。

「合格」ではない自分は、
「居させていただく」存在で、
先生にも大切にされることはなく
隅っこで小さくなっていなければいけないような気がしました。

理解できないまま進む授業では、
当てられたらどうしようとビクビクしながら過ごしました

芳しくない成績のまま秋になると、
皆がオレンジ色の表紙の問題集を手にしていることに気付きました。

学校別の「過去問」です。

皆とは格差があるような気がしていた私は、
話の輪に入ってゆくことが出来ずにいましたが、
どうやら「過去問」とやらは、入試までにやっておくべきものらしい、と察しました。

それで母に、
「過去問が欲しいの」
と言ってみましたが、
「お兄ちゃんのがあるでしょう」
と、一蹴されてしまいました。
(ちなみに兄が受験したのは5年前、そして私の受験する学校は兄とは全く違います

受験校は三つ、母が決めました。
私の意向を訊ねられたことはありません。
どの学校も、受験までに見学に訪れたことは一度もありません。
そもそも、私はその学校に行きたかったのかもよくわかりません。

全て、言われるままでした。

当時の中学受験はそんなものだったのかも知れません。
それに、受験をさせてもらえる環境だったことはありがたいことだと思います。

ですが、、、、、。

一番初めに受けた学校では、
なんと受験科目に「音楽」がありました
全くの想定外。完全な準備不足でした。
着ていた服装も、周りの皆はスーツやワンピースだったのに、私は普段着。
面接の順番を待っている間、惨めな気持ちで一杯でした

次に受けた学校では、
道順の下見をしておかなかったために途中で迷い、
遅刻をしての受験でした。
走って教室にたどり着くと、皆は静かに着席して説明を受けているところでした。
一瞬途切れる先生の声と、一斉に向けられる沢山の視線。
問題を解く前にボロボロでした。

(ノ_<)

この二校は撃沈でした
実力不足は否めません。
ですが、悔やまれる点ばかりでした。
受け身の姿勢で臨んだ私も悪いのですが、
連続する不合格にはさすがに落ち込みました。

さて、そうして迎えた最後の一校。

特別行きたい学校ではなかったけれど、
不合格は絶対嫌だと思いました。

中学受験ですから、受験生は小学生。
思春期の入口で、メンタル面も未熟な上、
入試当日の慣れない交通機関の他、
発表に関する事務的なことなど、対応が不十分な年齢です。

殊に受験に関する事務手続きは、細かい決まりやタイムリミットがあるため、
大人でも大変神経を使うものです。
全般において保護者が大きく関わることになります。
入試当日も、保護者は必ず受験生に付き添って受験校に行き、終了まで待機します。

ですが、私の場合、
最後の一校の時には、母が習い事の関係で同伴できなかったため、
私は前日親戚の家に泊まり、
そこから一人で行ったことを憶えています。

そんな子は多分、私一人だったと思います。

それでも私は、
ずっと受け身だった受験に対して、
ここにきてようやく能動的な気持ちを持てていました。

合格して母を喜ばせたい気持ちもありましたし、
通っていた小学校では、
私が中学受験をしていることが知られてしまっていましたので、
何とかして合格したかった。
地元の中学校に上がることは受験に失敗したことを意味しますから、
それはとってもかっこ悪い、と思ったのです。


合格をとりたい。

出来は一番良かった。
面接もまずまずでした。
発表が、待ち遠しかった。

その学校では、合格者を体育館に張り出すことになっていました。
合格した場合の事務手続きもあるので、合格発表にも通常保護者が行きますが、
発表の日、またしても習い事の関係で母は行けなかったので、
私は一人で合格発表を見に行きました。

多分、そんな子も私の他にはいなかったでしょう。

とにかく私は、
合格を確かめたい一心で、
受験票を握り締めて番号を探しました。

・・・・ない。
ない。。。

もう一度見直す
・・・ない。

(ノ_<)

意気消沈しかけたとき、
ボード端の「補欠」という文字が飛び込んできました。
塾での一年間、私を後ろめたい気持ちにさせた
「補欠」

ちょっと嫌だけどもしかして・・

・・わあ!!

(」*´∇`)」

よかった、不合格ではなかった
合格ではないけれど、不合格でもない。
心の底からホッとしました。
地元の中学に行かなくて済みます。
お母さんに早く伝えたい

「補欠」の喜びを、一人噛みしめているると、
先生と談笑しながら、何やら書類を書いている人や、
同じ色の封筒を持っているお母さんが何人かいることに気づきました。

大人の人は、
きっと先生とお話しがあるんだろうな。
大人の人は、
きっと何かもらえるんだろうな。

私は子どもだから、関係ないよね。

(*´v`)

不合格ではなかったことにすっかり安心した私は、
母に褒められることを想像して、
受験票を大切にしまい、
静かに体育館を後にしたのでした。


・・えーと、続きは次回にさせていただきます




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理解できなくても、理解し続けようとすること

おはようございます。
ACカウンセラーmichikoです。
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子どものころ、蓋を開けると音の鳴る、箱型のオルゴールを持っていました。
母がどなたかの箱根土産で頂いたものを、私が貰い受けたのです。
寄木細工の渋いものでしたが、嬉しかった。
内側に赤いビロードが貼られたその箱は、何か特別な宝物をしまっておくもの、という匂いがしてわくわくしました


一番初めに入れたのは、冬にみかんを剥くとたまあに出てくる
小指の爪ほどの大きさの小さな房(薄皮に包まれたその果肉を「じょうのう」というそうです)。
箱のビロードの上に直に置いて、一人眺めては楽しみました。

今、考えますと、何でそんなものを?と不思議なのですが、
当時の私にとっては「宝物入れ」にしまっておくほど価値のある、
大切なものだったのでしょう。
でも、みかんの小さな房が宝物だなんて、
ちょっと恥ずかしいとも思っていました。
ですので、誰にも見せたことはありません。

やがてそれは干からびて、箱の中には他のものを入れるようになりました。
遠足で拾ったどんぐりや、
公園で見つけた四つ葉のクローバー、
小さなビンに入った星の砂・・・。

入れるものは違っても、どれもがその時々で、私が大切にしていた宝物でした。

援助者として大切なことは、その人の「価値」を「理解し続けようとする」こと

精神保健福祉士の勉強をしていたとき、ある先生がおっしゃった言葉です。
とても心に響いたので、今でもよく思い返しています。

その方が、
何を大切に思っているのか、どこに「価値」をおいているのか
それを、せっかちに有る一点においてだけで理解したつもりになるのではなく、
「理解し続けようとする」こと。

自分を理解してもらえたら嬉しい。
でも、その時は理解してもらえなくても、継続的に理解しようとしてくれていると感じられたら、
誠実な味方を得られたようで、自分に自信が持てるようになるかもしれない

そこには、○○が出来たから、××が出来ないから、などという理由はありません。
あるのは理解しようとしてくれている、そんな安心感。


これはもしかして、
ACを受け入れるということも、
おんなじなんじゃないかなあ、と思うのです

ACの方が、
その時々に大切にしていたことを、
感じ取ってしまったことを、
守りたかったものを、
ご自身が「理解し続けようとする」
「価値」が流動的ならば、その変化した過程も理解しようとすればいい。
×なんて、ないと思うのです。

きっと馬鹿にされると思ってしまい、いつも一人で眺めていた「宝物入れ」
「こんなものを」と笑うのではなく、
どうして小さなみかんを大切にしているのか、理解しようとしてくれる人がもしいたら、
私はきっと、ちょっと恥ずかしいその気持ちごと
箱の中身を見せていたかもしれません。

寄木のオルゴールはいつの間にか無くなってしまいましたが、
私の中の「宝物入れ」には、
みかんの房を大切にしまったオルゴールを持った少女が未だに存在します。
ですので、今、
大人になった私は、
こうかな、ああかな、と、
彼女を「理解し続けようとする」人でいたいと思うのです。


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プロフィール

michiko

Author:michiko
ACカウンセラー
精神保健福祉士(ハラスメント通報窓口相談員)
東京認知行動療法アカデミー認定カウンセラー

ホームページはこちら

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・人にものを頼むことが苦手
・人の依頼や誘いを断ることが苦手
・主張するより周りに合わせる方を選ぶ
・自分が我慢する方がいい
・「こうしてくれればいいのに」といつも思うがうまく言えない
・自分の気持ちを汲んで欲しいのに、と強く思うことが多い
・そもそも自分がどうしたいのかよくわからない
・人を助けているうちに、自分が困った事態になっている
・困っていても自力で何とかしようとする
・仕事を一人で抱え込みやすい
・見捨てられるのが怖くて恋愛関係にまで踏み込めない
・恋人に対して必要以上に依存している、または支配していると思う
・誰も自分のことなど関心がないと思う
・周りの期待通りにしなければと思う
・もっと頑張らなければいけないと思う
・いつか裏切られるような気がする
・いつも不安で仕方ない
・相手の機嫌を自分が何とかしなければと思う
・相手の問題を本人以上にあれこれ考え世話をして疲れてしまう
・不機嫌な人がいると自分のせいではないかと思ってしまう
・怒りの感情を出さないので、よく「いい人」と言われる
・自分は楽しんではいけないと思う
・自分のためにお金や時間を使うことに罪悪感がある

 以上のことをこれまでの人生で繰り返してきた
 michiko

私はアダルトチルドレンです。生きづらさを抱えたまま大人になってしまいましたが、試行錯誤の末、今ではこれまでよりずっと楽に生きていると実感しています。
このブログが、少しでも楽に生きられるヒントとなれば嬉しいです。
カウンセリングでは、じっくりご一緒に考えてゆきたいと思っています。

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