いつも不安です^^
訪問くださいまして、ありがとうございます

michikoさん、不安はないのですか?
少し前ですが、クライアントさまにこう訊かれました。
最近になって、似たようなことを別の方からも。
私、不安の塊のような人間ですよ、
自分に自信もないですし(笑)
そうお答えしましたヾ(・∀・)ノ
あれが心配


きっとそれはこうなって、
あんなことやこんなことになってしまうのでは



大変だわ不安だわ(。Д゚; 三 ;゚Д゚)
いつも家族にこぼしているのです。
迷惑に思っているだろうなあ

(つい最近も「少しは信用して!」と娘に言われました(笑))
お話を伺いお支えすることを仕事としていますのに、、、


でも私は、これまでもきっとこれからも、大変な心配症なのです

不安感を抱く頻度は、今も昔も変わっていません。
むしろ多くなっているのかも。
ただ、以前と違っているのは、
不安に対して抱く感情です。
心配症は相変わらずですが、
不安であることは、悪くないと思えるようになりました。
何故なら不安は、
私を守るために、何か大切なことを伝えようとしてくれているから

そう理解してからは、
伝えようとしてくれていることを、
興味をもって冷静に考えるようになりました。
不安を
否認したり
拒絶したり、
無視したり
誤魔化したりしていると、
否定されたと感じた「不安」は、
伝えたいメッセージを何とか受け取ってもらおうと、
むくむくと大きくなってしまうように思います。
言葉をしゃべる前の赤ちゃんは、泣くことで不快を訴えます。
その不快を取り除くために、
ママは状況を判断し、経験や想像力を駆使して対応しますが、
分かってもらえないとそっくり返って大泣きです。
不安という感情も、ちょっと似ているような気がするのです。
以前の私は、自分が「不安である」ということを、
できる限り隠して生きておりました。
「不安」な状態は、
人として「弱いこと」「未熟なこと」「恥ずべきこと」であると
頑なに信じていたからです。
決して人に悟られてはいけない感情。
嫌われているのかもしれない、
間違っているかもしれない、
失敗してしまうかもしれない、
何かよくわからないけれど、私だけ良くないことになってしまうかもしれない、
いつも心の底では不安でした。
大して気にしていない素振りをして、
冗談っぽく「不安なんです」と人に言ってみることはあっても、
変な人だと思われたのではいか、
機嫌を損ねてしまったのではないかと心配になります。
いたたまれなくて適当なところで切り上げたり、
表面的なやりとりに持っていったりしながら、
そんなことないわよ大丈夫よ、と言われてしまうと、
何だか悪くて慰められた振りもしました。
本当は不安でたまらない
(´・_・`)
それは誰にも触れられることがないよう、
風呂敷にくるんでくるんで、しまい込みました。
けれども、そんなことをしても不安は消えてはくれません。
それどころか、
真の不安を隠していることが、
いつかバレてしまうのではないかという不安を生み、
いっそうビクビクしてしまう

(´・_・`)
「不安」は、
その存在を、認めて欲しかったのだと思うのです。
ただそのまま、自分の不安を、感じ取ってあげていたらよかった。
そうすれば、「不安」が伝えたかったことを探ろうとしていたかもしれない。
それを繰り返せていたら、
きっと自分自身を信頼することができたのに。
「不安」を否定してきた私は、
その溝を埋めてまいりました。
最近はお付き合いが上手になったように思うのです。
堂々と、不安なんですと言えるようになれたから(^-^)/
最後までお読みくださり、ありがとうございました。
少しでも参考にしていただけたら幸せです

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